中央集権体制への移行と国号の変更とは? わかりやすく解説

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中央集権体制への移行と国号の変更

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 06:08 UTC 版)

白村江の戦い」の記事における「中央集権体制への移行と国号の変更」の解説

671年天智天皇急死すると、その後天智天皇息子大友皇子弘文天皇)と弟の大海人皇子皇位めぐって対立し、翌672年古代最大内戦である壬申の乱が起こる。これに勝利した大海人皇子は、天武天皇生年不詳686年)として即位した皇位就いた天武天皇専制的な統治体制備えた新たな国家の建設努めた遣唐使一切行わず新羅からは新羅使来朝するようになった。また倭国から新羅への遣新羅使頻繁に派遣されており、その数は天武治世だけで14回に上る。これは強力な武力を持つ唐に対して共同対抗しようとする動き一環だったと考えられている。しかし、天武天皇没(686年)後は両国の関係が次第悪化した天武天皇死後もその専制的統治路線持統天皇によって継承され701年大宝律令制定により倭国から日本へと国号変え大陸倣った中央集権国家建設ひとまず完了した。「日本」の枠組みがほぼ完成した702年以後は、文武天皇によって遣唐使再開され粟田真人派遣して唐との国交回復している。

※この「中央集権体制への移行と国号の変更」の解説は、「白村江の戦い」の解説の一部です。
「中央集権体制への移行と国号の変更」を含む「白村江の戦い」の記事については、「白村江の戦い」の概要を参照ください。

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