中央集団の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 06:30 UTC 版)
「ハンガリー・ルーマニア戦争」の記事における「中央集団の戦い」の解説
7月20日、ハンガリー軍は第91連隊(第18師団所属)の抵抗を排除して、ティサ川を越えてソルノクに橋頭保を築いた。ハンガリー軍は第6、第7師団を橋頭保へ投入してルーマニア軍第一線部隊を圧倒する。第6師団は東方を攻撃してテレクセントミクローシュを奪取し、一方、第7師団はメゼートゥールへ進撃した。同時に第5師団がティサ川を越え、トゥールケヴェへ向かった。22日、ハンガリー軍はルーマニア軍第18山岳猟兵連隊を破り、ティサ川を越えソルノクから50kmのクンヘジェシュへ進軍。ルーマニア軍第18師団は第1騎兵師団の一部と第2山岳猟兵旅団を含む第二線からの増援を得た。23日にハンガリー軍はトゥールケヴェとメゼートゥールを占領。23日の夜までにハンガリー軍はティサ川右岸に幅30km、深さ60kmの突出部を形成した。東方と南方でこれと対するのはルーマニア軍の第一線と第二線だった。北方では第三線の第1歩兵師団を中央、第6歩兵師団を左翼、そして第2騎兵師団を右翼とする機動集団がティサ川沿いに編成された。
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