南ロシア軍
南ロシア軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 15:03 UTC 版)
「ピョートル・ヴラーンゲリ」の記事における「南ロシア軍」の解説
1919年1月8日には、白軍の劣勢を挽回するために白衛義勇軍と白色ドン・コサック軍との統一抗戦組織となる南ロシア軍が創設され、義勇軍もその構成単位となった。黒海艦隊をはじめ、多くの白軍組織がこの統一戦線に加わった。 しかし、不利は挽回されず次第に南ロシア軍の劣勢は決定的となった。ウクライナでのペトリューラ軍やネストル・マフノのウクライナ革命蜂起軍との戦闘で疲弊し、その上セミョーン・ブジョーンヌイらに指揮された赤軍はますますその勢いを増していた。11月12日には主兵力であったドン軍が赤軍に下り、南ロシア軍の劣勢はいよいよ決定的となった。 1919年12月から1920年1月までの間は義勇軍の総司令官であった。1月に最高司令官アレクサーンドル・コルチャークが非業の死を遂げると、全ロシアの実権はデニーキン将軍のもとへ移った。しかし、デニーキンは白軍不利の状況を前にこの実権移譲を公式には引き受けなかった。
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