異民族(異人種)起源説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 04:39 UTC 版)
「部落の起源論争」の記事における「異民族(異人種)起源説」の解説
弥生時代以前からの先住民族の末裔が差別されるようになったとするもの。 先住民で渡来の大和民族に同化しなかった一部のグループが山窩(サンカ)などとして朝廷の支配下に取り込まれずに身分制度の外におかれたものが被差別部落の一部に見られたことから生まれた説と考えられる。 江戸時代にも多く唱えられたが、被差別部落の一部に彫りの深い顔立ちで体毛が濃く筋肉質ながっしりした体型である傾向があるグループが有ることから明治期以降は主に人類学者がこの説を提唱した。
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異民族(異人種)起源説
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「部落の起源論争」の記事における「異民族(異人種)起源説」の解説
前述の古代起源説と同じ又はその一種であり、洋の東西を問わずアウトカーストの発生の大元は異民族ないし異人種間の征服・被征服に端を発するという、一般的な賤民史の範疇において捉えるものであるが、被差別民は渡来人であるとする説と、被差別民の方が先住民であるとする説とに分かれる。 古くは、鎌倉時代の辞書である『塵袋』が、エタは旃陀羅、すなわち狩猟文化と密接な関係を持つ異民族[要出典]としている。また、江戸時代、鎖国下で日本を清浄な地とし、そこから離れるほど穢れた地になるという思想を持つ国学が流行する中で、穢れた存在である部落民のルーツは朝鮮、中国、アイヌなど日本民族外にあるとする説が生まれた。 この説は、部落解放の父と呼ばれた松本治一郎から「我々の起源は神武時代である。神武が南方に於て戦に負けて逃げて九州に流れ着いた。九州の先住民よりも武器が優秀である。神武の画を御覧なさい。長い刀をさし、弓を持って居ります。……我々の先祖は征服された」と支持された。高橋貞樹などもこの立場を採る。一方神武天皇が南方で負けたとする記述は史書に見当たらず、それを証明する考古遺物も存在しない。 1885年、東京人類学会の会員であった箕作源八が「穢多ノ風俗」について各地の報告を求め、各地からの被差別部落民にかんする伝承や関係文献 が集まったが、その多くは、被差別部落民を日本人とは異なる「人種」として捉え、その起源について論じるものであった。 その後、人類学者・鳥居龍蔵は、1890年代に、東京・関西・四国等の被差別部落の人の外形を調査し、「朝鮮人の帰化せし者なりとの説は少しも信ずるに足らざるなり。蓋し一も其帰化らしき体質を認めざればなり。若しも彼等が朝鮮的体質なるならば彼等の目は必ず蒙古的ならざるべからず。亦頭形がブラキセフワリック即ち幅の広きものならざるべからず。然るに彼に在りては此要素を少しも認むる能はざるに於ては寧ろマレー的体質を備ふるものに類似せるなり」との調査結果を発表し、朝鮮人説を完全に否定するとともに、被差別部落民には「蒙古眼(蒙古襞)」がみられない南方系の人種であることを強調している。なお、このように、頭長で蒙古眼がみられないという特徴は、アイヌなどの古モンゴロイド(縄文人)のそれと一致する。俗に「被差別部落には美人が多い」という言い伝えがあり、この伝承も被差別部落の異人種起源説を前提にしている。部落出身の岡本弥は「我徒の同胞には可なりの美人が少なくない」と述べ、部落の美人が一般地区に流出し醜い女性だけが部落に残ることを憂え、美人保護論を唱えた。賀川豊彦は「穢多の間に美人が多いことは誰も認めて居る処である」と述べ、被差別部落民のコーカソイド起源説を唱えた。大江卓は「我国の『エタ』も其実往古より『ハフリ』の別名にして、交趾支那に来りた『ヘブリウ』人の一部分の渡来したる者なりと想像す可からざるにあらざるなり」と述べた。 また、戦後になると、大阪大学教授で人類学者の小浜基次が、形質人類学により、47の被差別部落を含む全国的な調査を行ったが、被差別部落民は周辺地域と比較して中頭型の性質を示したという。短頭型の朝鮮型形質のもっとも濃厚な畿内地区内においてはもとより、一般集団との差異が少ない地域においても、被差別部落民は周辺地域の人と比較して長頭の傾向があったという。 沖浦和光は岩上安身によるインタビューの中で「すべての先住民のなかで蝦夷が、ヤマト朝廷の侵略に抵抗して、最も粘り強く果敢に戦った」「戦いに敗れた蝦夷の戦士たちは俘囚として連行され、西日本各地に配流されてその一部は賤民とされました」と述べている。沖浦によると、インド伝来のケガレ思想が、中世以降、蝦夷への差別に影響したという。 本田豊は一方で「部落大衆を異民族視」することを「問題」といいつつ、他方では異民族起源説を「『荒唐無稽』として、現在はしりぞけられている説ではあるが、私はこの説の再検討が必要だと考えている。北陸には南北朝ころまで中国大陸や朝鮮半島からの渡来人が多数わたってきていたのであり、渡来人のもたらした文化遺産は多数残されている。そうした渡来人が形成した、と思われる部落も確実に存在するのである」と述べている。
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