異父兄弟姉妹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 00:49 UTC 版)
天正15年(1587年)、大坂城に大政所(なか)を母とする秀吉の異父兄弟を名乗り2、30人の従者連れで伊勢国から現れたが、秀吉が母を問いただし、「知らない」との言質を得て、ただちに従者ともども捕縛して斬首し、街道筋に首を曝した。同年の3、4か月後には、尾張国の異父姉妹を探し出し(「耳にした」とある)、当人が気乗り薄のところを優遇するとの使者の甘言で大坂に誘い、身内の婦人数人と上坂させたが、到着後すぐに同行女性らと共に捕縛し、斬首した。これはフロイスが、世上知られていることを記述したものとされている(フロイス『日本史』第12章)。大政所なか、には3回以上の結婚歴があるとされている 。しかし、秀吉が兄弟姉妹と認めるのは、秀長・朝日だけであった。
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