文化的状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 00:20 UTC 版)
古くから禁忌や穢れの対象とされてきた中で、近代文明においていつ頃から近親相姦が禁止されたのかは不明である。クロード・レヴィ=ストロースは遺伝的には同じ親等なのに交差いとこ婚が認められ平行いとこ婚が認められない慣習が各地にあることから、ヨーロッパでは16世紀以前には近親婚禁止の遺伝的理由付けは行われていなかったとする。だが、ミシェル・フーコーは『性の歴史』第二部で子供の発育が悪くなるというソクラテスの言葉を引いている。混同して扱われることもあるが、インセスト禁忌はあくまで性的規則であって婚姻規則とは重ならないという指摘も存在する。 ユダヤ教のようにインセスト・タブーが宗教上のものとして扱われることもある。だが、実際には宗教上近親婚が推奨された事例もあり、ゾロアスター教では近親婚はむしろ最高の美徳として考えられていた(フヴァエトヴァダタ)。 また過去には親子婚や兄弟姉妹婚に対する明確な規制がなかった社会も多く存在しており、ジャワのカラング族などでは母と息子の結婚が許可されていたり、ビルマのカレン族などでは父と娘の結婚が許可されていたりと、親子間の近親婚が容認されていた文化もあり、エジプトでは古代の王族のみならずかつては庶民も兄弟姉妹で結婚していたという話もあり、また異父もしくは異母の兄弟姉妹について見た場合は話はさらにややこしくなり、古代アテナイでは同父異母の兄弟姉妹は結婚が許可され、古代スパルタでは同母異父の兄弟姉妹は結婚が許可されていた。また、日本では夜這いの伝統で性教育の一環として適当な初体験の相手がいない場合は母親や父親が相手を務めることもあったという。シベリアのヤクートでは、処女のまま嫁になった場合は不幸に繋がりかねないとして、結婚前に兄弟が性行為の相手をする慣習の存在も伝えられていた。 インセスト・タブーは公共倫理の一種として一般的には語られることが多く、倫理学的な文脈で扱われることもある。稀ながら現代においても近親相姦が文化的に許容されている場合もあり、シエラ・マドレ山脈に住むインディアンらは父娘相姦を行っているという話がある。実際に近親相姦を行っている人々の行動によって法律が緩和された事例もあり、スウェーデンでは近親相姦罪で有罪になった異父兄弟姉妹が2人の子供をもうけるという騒動があったことから1973年に法律を改正し、半きょうだいならば当局の特別の許可を得た上で結婚が可能となった。中国では唐律の十悪があり、近親相姦は悪とされていた。だが、中国の律令制を参考にして作られたはずの日本の律令制では「八」虐となり、近親相姦は除かれていた。日本で近親相姦の禁忌視が本格的に強まったのは江戸時代で、このころには異性双生児が母体内で同胞相姦があるとして嫌悪されていた。 禁止されることでかえって近親相姦に対する欲望が喚起されうるとする見方も存在し、ディドロは『ブーガンヴィル航海記補遺』でタヒチの原住民の言葉という形式で近親相姦を禁止したところでそのように禁止すれば中には行いたがる者も出るであろうと主張しており、特に文学作品ではインセスト・タブーをあえて破ることによって傲慢な誇りを得ているような人物が登場することもある。もっとも、ドゥルーズ=ガタリが『アンチ・オイディプス』で主張するところでは、社会的抑制に伴う抑圧によって生まれたイメージとしての近親相姦は実行不可能な代物だとしている。
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