文化的活用・言及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/17 02:35 UTC 版)
「ペル・メル (ロンドン)」の記事における「文化的活用・言及」の解説
作家のウィリアム・メイクピース・サッカレーは1845年にダブリンへ赴き、オコネル・ストリート(英語版)(当時の名称はアッパー・サックヴィル・ストリート)をペル・メルと比較している。1870年には、ヘンリー・B・ホウィートリー(英語版)が "Round about Piccadilly and Pall Mall"(意味:ピカデリーとペル・メルを回って)を記し、通りや周辺地域の変化を記録している。オスカー・ワイルド作品集の A Critic in Pall Mall : Being Extracts From Reviews And Miscellanies は1919年に出版され、彼が1870年代から1890年代にかけて新聞や雑誌に掲載した随筆が収録されている。 ペル・メルはイギリス版のモノポリーで、ホワイトホールとノーサンバランド・アヴェニュー(英語版)と同じライトパープルのマス目である。これらの通りは全てトラファルガー広場に繋がっている。モノポリーのボードでは比較的安い土地の価格ではあるが、ロンドンの住宅価格高騰により、現在ペル・メルの小さなフラット1つでも、100万ポンドで売られるようになっている。 コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズには、ホームズの兄であるマイクロフトが会員である架空の紳士クラブとして、ペル・メルにあるディオゲネス・クラブ(英語版)が登場する。『ギリシャ語通訳』では、マイクロフトの家の上階に住む人物が依頼人となり、マイクロフトもまたペル・メルに住んでいることが示される。 「[前略]兄は数字に関しては非凡な才能があるので、ある官庁で会計検査の仕事をひきうけている。ペルメル街に住んでいて、毎朝、角を曲がってホワイトホール街へ歩いて行き、夕方、同じ道を帰ってくる。一年を通じて、これ以外に運動はやらないし、ほかにはどこへも出かけない。ただ一つの例外はディオゲネス・クラブだが、これは兄の家の真向かいにあるのだ」 [中略]話をするうちにペルメル街へ出た。この通りをセント・ジェームズ街の街はずれから歩いた。シャーロック・ホームズはカールトン・クラブ(英語版)のすこしさきの建物の前で立ちどまり、口をきかないようにと私に注意してから、さきに立って玄関へはいった。[中略]ホームズはペルメル街に面した小さな部屋へ私を案内しておいて出て行ったが、やがて一見して彼のきょうだいとわかる人物をつれて戻ってきた。 — アーサー・コナン=ドイル、『ギリシャ語通訳』 ブリティッシュ・アメリカン・タバコ社が生産・販売するタバコのブランドのひとつであるポールモール(PALL MALL)は、この地名および元となった球技に由来する。アメリカで1899年に販売が開始されたが、「ポールモール」はアメリカ風の発音であり、イギリスでは同商品を「ペルメル」と発音する。
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