文化的業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/16 16:03 UTC 版)
時朝は、建長5年(1253年)7月と文永元年(1264年)8月10日に京都蓮華王院(三十三間堂)に千手観音(120号像・169号像)を寄進している。1,001体ある三十三間堂の千手観音立像の中で、鎌倉時代のもので寄進者が確実に判明しているのは時朝が寄進したこの2体だけである。 宝治元年(1247年)4月に石寺弥勒堂弥勒菩薩立像、建長4年(1252年)7月には楞厳寺千手観音立像、翌建長5年(1253年)7月には岩谷寺薬師如来立像が地元笠間のそれぞれの寺に寄進され、現在、それぞれ国の重要文化財に指定されている。建長7年(1255年)11月には、鹿島神宮に唐本一切経を奉納寄進し、日光輪王寺の旧三仏堂の日光三社権現像の内、千手観音像を寄進した。また、山形県寒河江市の慈恩寺には弘長3年(1263年)常陸国小山寺(富谷観音)旦那笠間時朝銘のある木造大日如来坐像が現存する。また、高橋修は従来は小田氏が主体と考えられてきた建長4年(1252年)の忍性の常陸国下向について、まだ少年だった小田時知が当主を務める当時の小田氏のみでは困難で、時知の祖父である小田知重と友好関係にあった時朝が関与したとする説を唱えている。 自身は出家得度の道を選ばなかったが、時朝の特に仏教における文化的業績は大きかった。
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