水質の劣化と改善
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 06:11 UTC 版)
戦後に入り生活様式が変化すると野火止用水は次第に本来の役割を失い、次第に生活排水が用水に入るようになる。特に1963年(昭和38年)以降は、周辺の宅地化が進行したため水質汚染が激しくなった。1964年(昭和39年)、関東地方が旱魃に見舞われたために東京が水不足となり、分水が一時中止される。1966年(昭和41年)、再度通水されるようになるが、水量が制限されたため水質汚染は改善されず、1973年(昭和48年)には、東京都の水事情の悪化によりついに玉川上水からの取水が停止。以降、用水路の暗渠化が進んだ。 埼玉県と新座市は文化的業績の大きい野火止用水を滅ぼしてはならないと「野火止用水復原対策基本計画」を策定して、用水路のしゅんせつや氾濫防止のための流末処理対策を実施した。一方東京都は1974年(昭和49年)に野火止用水を歴史環境保全地域に指定し、「清流復活事業」により1984年、高度処理水(下水処理水)を使用して水流が復活した。流域に住むボランティアによる清掃活動もしばしば行われる。そのため現在では流域住民の憩いの場となっている。
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