水質の悪化と再生への努力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/25 14:34 UTC 版)
藩政時代から明治にかけては、市民の生活用水として、地域住民による自主的な清掃などにより、水質は清浄を保たれていた。住民が、コイやフナ、ウナギ、テナガエビ、シジミなどをとって生活の糧としていたことが言い伝えられている。しかし、昭和初期の新袋川の開通による流量の減少、さらに大戦後は工業廃液や生活排水の垂れ流しやごみの不法投棄などにより、水質は悪化の一途をたどった。このような現状を憂える市民により、1966年(昭和41)に『袋川美化推進協議会』が、さらに1974年(昭和49)には『鳥取市袋川環境整備研究会』が組織され、袋川再生への一歩が踏み出された。昭和50年代からのヘドロの浚渫や護岸工事、また市民による清掃活動などにより、袋川清浄化への取組がなされている。
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