異民族対策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 07:56 UTC 版)
武帝は曹魏の時代に異民族対策のために置かれていた統御官を継承してさらに多くの統御官を設置した。南蛮校尉(襄陽)、南夷校尉(寧州)、西戎校尉(長安)、平越中郎将(広州)などである。恵帝の時代になるとこれらの校尉は刺史を兼任するようになった。 西晋時代は多くの異民族統御官が新設されているが、これらは少数民族対策に重要な役割を果たす事になり、東晋時代にも受け継がれる事になる。また西晋の首都洛陽や長安など中心部は山西省に根を張っていた匈奴に近く、あるいはそれまでの動乱期に移民して洛陽付近に居住する少数民族などが根を張っていたため、武帝時代には郭欽が、恵帝時代には江統がそれぞれの民族を原住地に帰して防備を厳しくすることを提言したが、いずれも採用されずに逆に少数民族の中国内地移住が進行していくことになった。
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