番組スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/04/22 13:06 UTC 版)
「ウキキの教えて先生!」の記事における「番組スタイル」の解説
読売テレビのキャラクター・ウキキが教師役の同局アナウンサーと一緒に、当日ならびに近日放送予定の同局や日本テレビ系列のテレビ番組の勉強をするというもの。番組初期は教室で授業を行い、一時期、芸人たちが生徒役で出演していたこともあった。その後は各先生の部屋で勉強をする形になっている。また紹介する番組の内容によっては、診察室など別のシチュエーションで授業を行うこともある。 2010年4月以降は同時間帯で「ウキキちゃんねる」が放送されている。
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番組スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 05:30 UTC 版)
「会員制ラジオ番組 うまいっしょクラブ」の記事における「番組スタイル」の解説
「会員制」といっても会員にならないと放送が聴けないというわけではない。聴取者は曜日ごとに決められたテーマに沿ったネタをハガキで寄稿することによって参加することができ、採用されると晴れて会員になれる。初めてハガキが番組で読まれると明石英一郎が必ず「会員番号無し、ずぉっと! おめでとう!」と祝福し(ずぉっと!は明石独自の感嘆句。これを言わない場合もあり)、会員番号が記載されたハガキ大の黄色い「会員証」が採用された聴取者に送られる。 会員制ラジオという手法は坪内と明石が思い付いたが、ハガキは放送開始後、3ヶ月間は殆ど一枚も来なかった。 会員証はシールを4枚 貼る枠があり、ハガキが読まれるとシールが1枚送られ、会員証に順次 貼付していく。通算 5回ハガキが読まれ、シールの枠が全部埋まると「明石英一郎の恥ずかしい写真」が完成する。シールが埋まった会員証はSTVに返送すると新しい会員証と共にノベルティ グッズが貰える仕組みだった。 ノベルティグッズには巾着袋やテレホンカードのほか、あらかじめ表にSTVの住所が、裏には明石の似顔絵が印刷済みの「常連ハガキ」など複数あり、会員証を送り返す時に好きなものを選ぶことができた。1日の放送の中でいちばん面白かったネタには、別に特製のTシャツがもらえる。会員証やシールがもらえない「ボツボ13」でも、明石の笑いを誘えばTシャツはもらえるチャンスがあった。 この番組からは多くのハガキ職人が生まれた。彼らの一部はその後就職や進学で上京し、他番組(伊集院光 深夜の馬鹿力など)でも常連投稿者となった。
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番組スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 00:34 UTC 版)
この番組は、読売テレビのディレクター(当時)の白岩久弥と構成の疋田哲夫が「笑福亭鶴瓶さんで番組を作ろう」と企画したのが始まりで、鶴瓶が共演相手に上岡龍太郎を指名して番組が始まることになった。しかし、肝心の番組内容がなかなか決まらず、結局「2人に決めてもらおう」ということで、1987年3月30日から4月2日の4日間、深夜に4回連続で放送されたパイロット版扱いとなる特番『鶴瓶上岡・激突夜話』(つるべ・かみおか げきとつよわ、「よわ」は「4話」とかけている)が組まれる。ここでの2人の会話が後のパペポTVのスタイルになっている。 タイトルが示すとおり、放送禁止用語も多く飛び出した。話が長くなる場合はその部分ごとカットされて、当初はブルーバックに「なんやかんやで〇分経過」「ちょっと早送り」というテロップを乗せた一枚画で凌いでいたが、やがて砂嵐の映像を1秒流して処理するようになった。また、1988年以降の1月1日早朝(編成上は12月31日深夜)には、『ゆく年くる年』や日本テレビ発の年越し番組終了後に、毎年必ず2~3時間ほどの新春スペシャルが放送されていた。新春スペシャルには、横山ノックがほぼ毎回ゲスト出演していた。さらに、1994年は「名作復活祭」、1995年は「リクエスト大会」、1996年以降は前年放送分の収録終了後(エンディングの挨拶の後)の放送には入らないトークをまとめた総集編も織り込まれていた。後述するパペポシアター開催期間中の1988年3月と1991年7月には帯の総集編特番(前者は「SPECIAL FOUR DAYS」、後者は「名作復活祭」の副題がついていた)を編成している。 讀賣テレビ初代社屋で収録が行われていた時代、観客は基本的にカメラの後方で観覧することになっていた。そのため、番組のエンディングの際に、鶴瓶・上岡両名が通称「鶴瓶ダンス」をしながら番組セットからカメラの方へ飛び出したり(1987年7月14日放送分)、「浜寺の水練学校」をテーマにした即興漫才が行われた際に、鶴瓶がオチとして「後は任したー!」と叫びながらカメラの方へ泳ぐようにしてフレームアウト(1988年7月8日放送分)というような演出がたびたび行われていた。新社屋移転後は、観客が番組セットの目の前に座って観覧するようになったため、前述のようなことは一切無くなった。ただし例外として、第176回と第370回放送で無観客による収録が行われた際には、昔を懐かしむ形で前述の行為を再現していた。 また、番組開始当初は郵政省(現・日本郵政)が「郵便局」のクレジットで1社提供していたことから、番組の最終コーナーではゆうパックを使って近畿各県(のちに近畿以外のエリアからも)の郵便局から提供される「ふるさと小包プレゼント」を開催していたことがあり、そこで視聴者の感想文に答えていた。のちに郵政省筆頭の複数スポンサーとなってからも続いたが、1992年3月に郵政省がスポンサーを降板したため「ふるさと小包プレゼント」は廃止となるが、感想文紹介は行われ続けた。プレゼントの提供自体も続けられ、郵政省降板後は一時期筆頭スポンサーを務めていた中納言からの伊勢海老と食事券のセット(1992年4月 - 12月)、番組特製時計(1993年1月 - 3月)、番組特製テレホンカード(1994年4月 - 1997年12月)と変わっている。
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