無罪判決、そして事件の余波
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 06:11 UTC 版)
「ソープ事件」の記事における「無罪判決、そして事件の余波」の解説
審理でのソープ3人の[捜査側の主要証人]は全員、反対尋問で言い負かされてしまい、訴追側の申し立てが終わってみれば、嘘や不正確さ、犯罪の自白が入り混じるもので、被告側は証言を行わないことを選ぶほどだった。仮に証言したとしても、審理が無駄に引き延ばされただけだったろう ジェレミー・ソープ、In My Own Time 陪審員団は6月20日の朝に評決するため引き下がった。2日後に再開した公判で、陪審員団は4人の被告全員に無罪を宣告した。判事はディーキンに必要経費を支払ったが、調査に非協力的だったと考えてホームズとル・メスリエールには支払わなかった。ソープは経費の申請を行わなかった。短い公式声明の中で、ソープは評決について「完全に公正・公平で、完璧な無実の証明」(英: "totally fair, just and a complete vindication.")だと考えている旨を明らかにした。デイヴィッド・スティール(英語版)は自由党を代表し、「大いにほっとした」(英: "a great relief")として評決を歓迎し、ソープについては「しかるべき休息と疲労回復用の時間の後[中略]素晴らしい才能を発揮する道を見つけるだろう」(英: Thorpe would, "after a suitable period of rest and recuperation ... find many avenues where his great talents may be used.")と述べた。ノース・デヴォンでもソープの無罪評決は歓迎され、ミサでは、式を執り行ったジョン・ホーンビィ司祭(英: The Rev. John Hornby)が「神のしもべであるジェレミーへの手助けに。暗闇は今や消え去り、真実の光が輝いている。これは主が作りたもうた日なのだ!今日は魂の救済の日なのだ!」として神へ感謝を告げた。 無罪判決が下ったものの、世間では、ソープの態度は不適切で、十分に説明責任を果たしていないという認識が強かった。バーンステイプル大執事(英語版)はホーンビィのメロドラマ的な感謝ミサに批判的で、「オールド・ベイリーでの結果には大量の不幸が付いている。大勢の人々にとっては、この一件に関する公判は大きな疑問符を付けて終わったというところだ」と述べた。党に活発な政治活動への復帰を拒まれたソープは、1982年にアムネスティ・インターナショナルから英国本部の理事として招聘されるが、団体スタッフの抗議に遭って辞退した。それから程なくして、ソープにはパーキンソン病の徴候が現れ始め、1980年代半ばにはほとんど完全に公職から退き、私生活に軸足を移すことになる。1988年に旧自由党が社会民主党と合併して自由民主党を結党した後、ノース・デヴォン選挙区の自由民主党本部はソープと政治的に和解し、彼を名誉総裁職に据えた。ソープが1997年に自由民主党の党大会に参加した際には、彼に拍手喝采が贈られた。1999年、ソープは政治活動の回顧録である "In My Own Time" を出版し、公判の最中沈黙を保ったことを正当化した上で、結果については全く疑っていなかったと述べた。9年後の2008年1月、ソープは25年ぶりに『ガーディアン』紙のインタビューに応じた。この一件に話が及ぶと、彼は「今あの事件が起こったならば、大衆ももう少し優しかったと思う。あの時彼らは、あの一件に大層戸惑った……あの事件は彼らの価値観を害した」と述べた。ソープは妻マリオンが死んだ後、2014年12月4日に85歳で亡くなった。 公判の後、ル・メスリエールの人物評は低空飛行を続け、全国紙に「本当の話」(英: "the real story")を売ろうという目論見も失敗に終わった。1981年6月には、『ニュース・オブ・ザ・ワールド』に連載された記事にホームズが登場し、「ジェレミーが直面した教唆罪は本当のもので、もし自分が証人席に立っていたなら、真実を話さざるを得なかったはずだ」と述べ、ソープからスコットを殺すよう頼まれたと再主張した。ホームズは1990年に亡くなる前、スコットを「脅迫する」"frighten" 共謀に加わったことは認めたが、それは彼の殺人を意味するものではなかったとしている。ベッセルは事件にまつわる話をまとめて、1980年にアメリカで出版した。ベッセルは1985年に亡くなったが、晩年の労力はカリフォルニア州・サンディエゴでのビーチ浸食を食い止めるキャンペーンに注がれた。ニュートンは、ル・メスリエールと同じく、事件の話で金稼ぎをしようと試みたが、彼の話を出版しようという新聞社は無く、失敗した。この一件に関するスコットの最後の言説は評決直後に出されたもので、結果には驚かなかったが、判事が裁判官席という安全な場所から自分の性格について糾弾したことにはうろたえた、とするものである。2014年12月、74歳になったスコットは最近デヴォンからアイルランドに移住したと報じられたが、ジョン・プレストンは、2016年に出版した著作の中で (en) 、「ダートムーアの村で[中略]70羽のニワトリ、3頭の馬、1匹の猫、1羽のオウム、1羽のカナリア、5匹の犬と[暮らしている]」とスコットの近況を伝えている。2017年には南西イングランドで穏やかな生活をしていると報じられている。 この事件を追い2014年にBBCで放送されたドキュメンタリー(→外部リンク参照)では、アンティークの銃火器収集家デニス・ミーアン(英: Dennis Meighan)が、匿名の古参自由党員からスコットを殺すために雇われ、13,500ポンドを支払われたと述べた。ミーアンは、当初は賛成していたものの気が変わり、ニュートンに銃撃で使われた銃を提供したと述べている。警察に自白した後、彼は予め準備された声明文に署名するよう求められたが、その内容はミーアンに拠れば「有罪になるようなことは全て忘れるが、同時に、自分が自由党、ジェレミー・ソープ、その他に関して述べたこともまた忘れる」というものだった。BBCのトム・マンゴールド(英語版)はミーアンの供述について、もし本当ならば、「超最高級の共謀」(英: "a conspiracy at the very highest level")があったことを示唆すると述べた。2016年、エイヴォン・サマセット警察は、初期捜査の独立見解を述べた捜査文書を、ウェールズ・グウェント警察(英語版)に引き渡したことを発表している。 また2017年には、この事件にまつわるプレストンの著作(Preston (2016))を元に、BBC Oneで3部作のドラマを放送することが発表された。タイトルは原作と同じ "A Very English Scandal" で、ヒュー・グラントがソープ、ベン・ウィショーがスコットを演じ、脚本はラッセル・T・デイヴィス、監督はスティーヴン・フリアーズが務める。グラントにとっては25年ぶりの英国ドラマ界復帰となるほか、ウィショーはイギリスでの同性愛非犯罪化50年を記念して作られたドラマ "Queers"(マーク・ゲイティス脚本)に出演していたことから、作品の製作に注目が集まった。撮影は2017年10月に始まった。作品はBBC Oneで2018年5月20日から3回に分けて放送され、日本ではWOWOWプライムにて『英国スキャンダル〜セックスと陰謀のソープ事件』との題名で放送されることになった(初放送は2018年10月21日)。
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