無罪判決と永久追放
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 03:57 UTC 版)
「1921年のメジャーリーグベースボール」の記事における「無罪判決と永久追放」の解説
1919年のワールドシリーズでの八百長疑惑について、前年秋に法廷に持ち込まれたが、これに反発したメジャーリーグ12球団のオーナーが野球界の問題は野球界で解決するとしてケネソー・マウンテン・ランディス判事に要請し、判事はこれを受け入れて前年12月にナショナルコミッションのトップに就任することが決まった。しかしランディスは就任依頼を承諾する前に条件を付けた。それは①自分を野球機構で唯一無二の存在であること。②実際に無限の権力を自分に委ねること、③自分の決定を覆す権利をリーグ会長も球団オーナーも与えないこと、であった。ランディスを推薦した12球団のオーナーは野球に対する信頼を回復するためには如何なる譲歩も辞さぬ覚悟でいたためこの条件を全てのみ、1月12日にケネソー・マウンテン・ランディス判事を初代コミッショナーに推戴した。 そして起訴されたシカゴ・ホワイトソックスの8人について、それまでに大陪審での供述で八百長行為を認める証言をしていたが、1921年8月2日にシカゴ高等裁判所は被告らに無罪の判決を下した。八百長の立証が難しく、この審理でも検察側の証拠が不十分とされ、真相の究明に限界があることが明らかになった。しかしランディス・コミッショナーはその翌日8月3日に次のような声明を出した。 ・・・陪審員の評決に関わりなく、八百長を働く選手、八百長を請け負う選手、不正な選手、ギャンブラーが八百長を話し合う会合に出席しながら直ちにその事実を球団に報告しない選手は二度とプロ野球でプレーすることはできない。・・・・ こうしてホワイトソックスの8人の選手は無罪判決を受けながら永久追放となり、失意のうちに球界を去った。追放処分となった選手は以下の通りである。 シューレス・ジョー・ジャクソン(外野手) エディ・シーコット(投手) レフティ・ウィリアムズ(投手) チック・ガンディル(一塁手) フレッド・マクマリン(内野手) スウィード・リスバーグ(遊撃手) ハッピー・フェルシュ(中堅手) バック・ウィーバー(三塁手) 主犯格はチック・ガンディル一塁手で彼は1万5000ドルを受け取り、他の選手にも1万ドル以下の金を渡していた(大半は5000ドル以下であったという)。シューレス・ジョー・ジャクソンはお金は受け取ったが試合で敗退行為はしていないと証言し、実際彼のシリーズの打率は.375であった。この事件の背景にはシカゴ・ホワイトソックスのオーナーであるチャールズ・コミスキーの球団運営に問題があり、余りに吝嗇なやり方に問題があった。選手の年俸も抑えられて、ジャクソンは6000ドルに抑えられて、当時一流選手は1万ドルの年俸が珍しく無かった時代である。しかも球団の財政が赤字であればともかく、本拠地コミスキーパークに年間60万人を集めて16球団の中で高収益を得ていたにもかかわらず、であった。こうした冷遇にチック・ガンディル一塁手が反発してボストンの賭博師に八百長を持ちかけたことがブラックソックス事件の発端であった。哀れだったのはバック・ウィーバー三塁手で、彼は会合には出ても金は受け取っていないのだがランディスは報告義務を怠ったことで厳罰に処した。後に彼は何度も復帰を請願したがランディスは認めなかった。
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