無罪判決後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 16:20 UTC 版)
「弘前大教授夫人殺し事件」の記事における「無罪判決後」の解説
無罪が確定した日、那須は自宅の玄関に、事件以来掛けることのできなかった表札を再び掲げた。8月30日には刑事補償として1399万6800円(4378日の拘禁日数から換算すると1日当たりおよそ3200円)を受け取った。この刑事補償は、亡父の墓代を除いたすべてが再審費用と後の国賠訴訟費用に充てられた。一方のXは判決後に変心し、「もう那須の顔を見たくない。無罪判決をもらっても、俺にはなんのあいさつもない」と苛立ちを露わにした。松永は「判決通り那須さんが無実なら、家族も含めて本当にお気の毒に思う」と語り、元市警捜査課長は、当時自身の潔白を証明できなかった那須を非難した。 Xの存在をいち早く察知し、5年9か月にわたる追跡取材で事件の再審に貢献したことを讃えられ、井上は日本弁護士連合会から報道関係者として初めて感謝状を贈られた。その後も井上は日本新聞協会賞 や菊池寛賞 を相次いで受賞し、取材活動のエピソードは1992年(平成4年)にドラマ化もされている。 かつて古畑が那須の有罪を自身の功績として喧伝し、再審までに24刷を重ねていた著書『法医学の話』について、ほどなく版元の岩波書店は「文脈に疑問がある」として出品を停止、絶版とした。弘前事件と同じく古畑の鑑定が有罪の証拠とされ、被告人らに死刑判決が下っていた財田川事件、島田事件、松山事件についても、後に3件すべてが再審で無罪となった。
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無罪判決後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/20 03:08 UTC 版)
最高裁での無罪判決が確定したAとBは、それぞれ16万円の刑事補償を受け取った。しかし、判決までの10年以上の歳月の間に、泣き暮らしたAの母は目の手術を3回受け、姉は離婚を余儀なくされ、弟は発狂していた。 一方、元警視庁警視の成智英雄は当時の捜査員について、渡部については「高潔な人格者で、自白を強いるような激しい性格の持主ではない。静かにじっくり物事を考えて、合理的に片ずけて〔ママ〕ゆくという気の長い地味な人柄」、Eについては「親切で思いやりがあって、多くの凶悪犯人に、親のように慕われていて、大きな声も出さないような稀にみる温厚な捜査官」と評し、彼らによる拷問の可能性を完全に否定している。 成智は2人の逆転無罪に異を唱えるのみならず、八丈島署による2人の不法留置についても、1か所しかない東京地裁に都内90の警察署から毎日何百本もの令状請求をすることは事実上不可能である、とした。そして、行政執行法第1条のみによる不法留置は数十年の間慣行として全国で認められていた、としてこれを正当化し、もし2人と同様に新刑訴法施行以前の囚人・前科者全員に補償金を支払えば国家は破産してしまう、とも述べている。 なお、事件後に渡部は本庁公安一課一係長(警視)に、Eは捜査一課主任(警部補)に栄転している(峰岸はその後退職)。
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