横浜港駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 08:07 UTC 版)
詳細は「横浜港駅」を参照 横浜港駅(よこはまみなとえき)は東海道本線の支線上に1911年(明治44年)9月1日、「横浜港荷扱所」という横浜港における船舶と貨物の積み替えを行う貨物駅として開業したが、前述の通り1920年(大正9年)7月23日に東京駅 - 横浜港駅間で日本郵船の横浜 - サンフランシスコ間航路に接続するボート・トレインが運転開始された。 そのルートは、東京駅から東海道本線を進んで鶴見駅から分岐する貨物線(通称・高島線)を経由して横浜港駅に至るというもので、当初の途中停車駅は新橋駅・品川駅・大森駅であったが、後に大森駅は京浜線電車(現・京浜東北線)専用駅となったため、停車駅から外された。1934年(昭和9年)12月1日実施のダイヤ改正時には、下記のような時刻で運転されている。なお、戦前の時刻表にはこのようなボート・トレインの時刻もすべて掲載されていた。 (231)東京1230→横浜港1315 (232)横浜港1530→東京1615 戦時中は運行が中断されたが、前述のように1957年(昭和32年)8月28日から「氷川丸」による横浜 - シアトル間航路に接続する列車として東京駅 - 横浜港駅間で運行が再開された。戦後の列車は市販の時刻表には掲載されなかったという。1959年(昭和34年)頃には東海道本線区間はEF58形電気機関車の牽引となり、鶴見駅で運転停車して8620形・C58形蒸気機関車との付け替えを行うようになった。同年7月26日に運転された列車は、ちょうど宝塚歌劇団がアメリカ公演へ向かう便に接続していたため、見送りファンの輸送に備えて10両という長大編成を仕立てたといわれる。 そして、航空機の時代になり更に氷川丸が老朽化して運行が次第に困難となったことから、同船による最後のシアトル航路が横浜を出港した1960年(昭和35年)8月27日に運行された3231・3232列車(時刻は下記)をもって、ボート・トレインの運行は終了した。その後横浜港駅では、1970年(昭和45年)10月の高島線からの蒸気機関車引退の際に東京駅 - 横浜港駅間でD51形蒸気機関車を使用した記念旅客列車が設定されたが、その際にボート・トレインが発着したホームを使用している。また、1980年(昭和55年)6月には横浜開港120周年を記念して、横浜港駅には入線しなかったものの、高島線で往時のボート・トレインを再現した列車がC58形(梅小路蒸気機関車館所属の1号機)の牽引で運行されている。 (3231)東京1136→横浜港1229 (3232)横浜港1551→東京1650 横浜港駅は貨物駅としてその後も存続したが、1982年(昭和57年)11月15日に横浜港信号場という信号場に格下げされ、1986年(昭和61年)11月1日に港への路線と同時に廃止された。 その後、1989年(平成元年)3月25日から10月1日までの横浜博覧会開催期間中は、財団法人横浜博覧会協会が鉄道事業免許を取得して、横浜博覧会協会臨港線としてこの路線が利用された。博覧会の会場ゲートがあった桜木町駅近辺(日本丸駅を設置)から山下公園の氷川丸付近(山下公園駅を設置)まで旅客列車(気動車)の運行が行われたが、同博覧会終了と共にこの区間は廃線となった。 1997年(平成9年)から2002年にかけて、横浜港駅へ向かう路線の廃線跡地は順次山下臨港線プロムナードという名称の歩道として整備され、鉄道の線路設備は撤去された。現在は「汽車道」という愛称で呼ばれており、横浜みなとみらい21地区の観光名所にもなっている。横浜港駅跡のボート・トレインが発着したホーム跡地も整備され、現在はプラットホームと上屋、およびレールが再現されている。
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