工業地帯の発展と臨港鉄道網の完成とは? わかりやすく解説

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工業地帯の発展と臨港鉄道網の完成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 04:06 UTC 版)

高島線」の記事における「工業地帯の発展と臨港鉄道網の完成」の解説

1920年代後半から1930年代にかけて、横浜港湾整備神奈川区鶴見区沖合へと進展するようになった。この時代になると工業の発展進み臨港線は単に船舶との連絡を果たすばかりではなく臨海工業地帯貨物輸送をも担うようになっていった。このため埋立地造成された岸壁工業地帯へと次々貨物支線延長されていった1934年昭和9年3月1日には恵比須町宝町大黒町埋立地入江駅から分岐して新興駅までの支線開通した続いて6月15日には山内埠頭完成に伴い高島実際に千若信号場) - 山内町間が、高島埠頭完成に伴い高島 - 表高島間が、それぞれ開通した。さらに瑞穂埠頭完成に伴い1935年昭和10年7月15日には入江駅から(実際に千若信号場から)分岐して瑞穂駅までが開業した。この線は海神奈川駅のある地点通過して瑞穂駅向かっていたが、瑞穂駅への支線開通したころには海神奈川駅高島線より北側の、現在は下水処理場になっているあたりに移転していたとされており、瑞穂への支線海神奈川駅構内通ったことはなかったとされる。しかし海神奈川駅キロ程変更されておらず、実際に移転した日付不明となっている。一方で東横浜駅から生糸検査所までの引き込み線1928年昭和3年3月31日開通した1935年瑞穂駅への支線開通により、横浜臨港鉄道網はほぼ完成見た。『横浜市統計書』および『横浜港統計年報』を分析した資料によれば横浜市鉄道通じて到着した貨物量は1911年明治44年)の30トンから1928年昭和3年)の223トンへ約7.4倍に、発送され貨物量は50トンから255トンへ約5.1倍に増加したまた、単に船舶通じて到着発送される貨物鉄道中継して国内各地と結ぶ機能から、臨海工業地帯における加工生産にかかわる輸送増大していった。1929年昭和4年)の統計によると、船舶到着して鉄道出荷され品目は主に豆粕大豆リン酸アンモニウム重油木材小麦石炭台湾米・レール鉄道到着して船舶出荷され品目生糸鉄道到着して横浜市内消費され品目砂利木炭内地米石材石灰石屑糸木材小麦横浜市内生産され鉄道出荷され品目揮発油板・麩となっている。 このころ臨港線では、高島機関区所属機関車が主に使用されており、機種としては5500形、6750形、6760形、C58形などであった。 しかし第二次世界大戦勃発により、アメリカとの旅客航路休止されボート・トレイン運行中止になった大戦前のボート・トレイン最終運行記録明確でないが、大戦最後対米航路出航1941年昭和16年7月18日浅間丸であることから、この日ではないかとされている。対米戦争開戦後は、1942年昭和17年4月1日から横浜港駅海軍関連貨物専用使用されることになった大戦末期には横浜市激し空襲を受け、高島駅入江駅海神奈川駅千若信号場表高島駅なども大きな被害受けた。しかし東横浜駅横浜港駅一部損傷したのみで大半健在であった

※この「工業地帯の発展と臨港鉄道網の完成」の解説は、「高島線」の解説の一部です。
「工業地帯の発展と臨港鉄道網の完成」を含む「高島線」の記事については、「高島線」の概要を参照ください。

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