その後の高島線
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みなとみらい21計画のさらなる進展により、1995年(平成7年)2月27日に高島駅は廃止され、東高島 - 高島間が単線化された。これにより複線区間は鶴見 - 東高島間のみとなった。そして高島駅の跡地の整理とともにこの区間は西側へ線路を付け替えられて地下化され、1997年(平成9年)11月24日に高島トンネルに移行された。 1996年(平成8年)7月20日に旧横浜港駅プラットホームの復元工事が完了し、赤レンガパーク内で一般公開された。新港埠頭へ渡る橋梁は再整備がなされ、1997年(平成9年)7月19日に汽車道として公開し、遊歩道化された。2000年(平成12年)に山下公園内の高架貨物線の撤去工事が完了し、新港埠頭から山下公園までの区間は2002年(平成14年)3月2日に山下臨港線プロムナードという遊歩道として公開された。
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