その後の高宗武
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 15:34 UTC 版)
汪兆銘との訣別後は、アメリカに渡った。一方、1939年に出された過酷な条件は1940年の桐工作で緩和された。しばらく惨憺たる生活をしていたが、証券会社でタイピストとして働いていた夫人から株の知識を授けられ、晩年は悠々自適であったと伝えられる。(松本重治「上海時代」による)
※この「その後の高宗武」の解説は、「高宗武」の解説の一部です。
「その後の高宗武」を含む「高宗武」の記事については、「高宗武」の概要を参照ください。
- その後の高宗武のページへのリンク