その後も続いた移民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/17 17:10 UTC 版)
「モルモン・トレイル」の記事における「その後も続いた移民」の解説
モルモン教徒の移民が続いた各年で、人々は「中隊」に編成され、各中隊はその指導者の名前を付け、さらに10人から50人の小集団に分けられた。教徒は行程を2つに分け、先遣隊が開発した道を旅した。最初の行程はノーブーに始まり、今日のネブラスカ州オマハに近いウィンター・クォーターズで終わった。旅の残りは後にネブラスカ州とワイオミング州となった地域を抜けて現在のユタ州にあるソルトレイク・バレーで終わるものだった。初期の集団は幌を付けた荷車を牛に曳かせ、物資を積んで山河を進んだ。後期の集団は手押し車を使い、徒歩で進んだ。 1849年までにアイオワ州やミズーリ州に残っていたモルモン教徒は貧乏であり、旅に必要とされる荷車や役獣それに物資を買う余裕が無かった。末日聖徒イエス・キリスト教会は無期限移民基金と呼ばれる回転資金を設立し、貧しい者が移住できるようにした。1852年までに移民を希望したノーブーからのモルモン教徒は大半がそれを成し遂げ、教会はアイオワの開拓地を放棄した。しかし、東部州やヨーロッパからの教会員がユタに向かい続け、無期限移民基金に援けられることが多かった。
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