神戸港駅とは? わかりやすく解説

神戸港駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/24 05:06 UTC 版)

神戸港駅*
入れ替え作業中の機関車
こうべこう
Kōbekō
東灘信号場 (3.4 km)
所在地 兵庫県神戸市中央区小野浜町2
所属事業者 日本貨物鉄道(JR貨物)
所属路線 東海道本線貨物支線(神戸臨港線)
キロ程 3.4 km(東灘信号場起点)
電報略号 ココ
駅構造 地上駅
開業年月日 1907年明治40年)8月20日[1]
廃止年月日 2003年平成15年)12月1日
*1939年昭和14年)11月1日に小野浜駅から改称[1]
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神戸臨港線と和田岬線

神戸港駅(こうべこうえき)は、かつて兵庫県神戸市中央区小野浜町2にあった日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物駅である。東海道本線貨物支線(通称、神戸臨港線)の終点であった。日本国有鉄道(国鉄)からJRにかけて、神戸市、特に神戸港の貨物取扱の中心であったが、2003年平成15年)12月1日に廃止された。

1924年大正13年)から1940年(昭和15年)頃まで行われていた旅客輸送はボート・トレインを参照。

歴史

神戸市中央区地区の高所ビルから、震災五ヵ月後の1995年6月2日に、旧、JR貨物神戸港駅を望む。
画像中央の線路に挟まれた三階建ての、薄汚れた細長い白色ビルが当時の駅舎で、コンテナホームは画像の下部に隠れている。
※中央下部の阪神高速3号神戸線は、震災後に耐震化工事で取り壊された為に途切れている。

神戸市の震災サイト【阪神・淡路大震災『1.17の記録』】より。

神戸港に船舶との貨物接続輸送を行うために、1907年明治40年)に当駅が開設された[1]。当時の名称は小野浜駅であった。1924年大正13年)に開設された新港第四突堤(神戸ポートターミナル)の神戸港駅(こうべみなとえき)を、1939年(昭和14年)に当駅へ統合し、当駅を神戸港駅(こうべこうえき)に改称した[1]

1981年(昭和56年)に摩耶埠頭駅神戸駅前にあった湊川駅からコンテナ取扱業務を集約し、当駅でコンテナ貨物の取扱を本格的に開始、一部構内側線を撤去しコンテナホームが拡張された。

その後、神戸市の阪神・淡路大震災復興事業の一環として再開発されることになり、2003年平成15年)に廃止され、駅業務は山陽本線上に新設された神戸貨物ターミナル駅に移管された。神戸港駅の廃止・業務移管の構想自体は、国鉄民営化の一環で生じたものであって阪神・淡路大震災以前から存在していたが、神戸市が跡地を再開発するうえで、震災後、復興事業に位置付けたものである。

年表

駅構造

末期には、2面のコンテナホーム、3本の荷役線、その他仕分線、留置線が数本あった。また1982年(昭和57年)12月に改築された2代目の3階建ての駅舎があった。

1980年(昭和56年)頃まで新港突堤にあった三井倉庫澁澤倉庫三菱倉庫など倉庫専用線や構内側線が敷設され、有蓋車が乗り入れ貨物輸送を行っていた。このうち三菱倉庫専用線では、隣駅の湊川駅が廃止になったことにより1985年(昭和60年)から麦芽輸送を引き継ぎ、1986年(昭和61年)11月1日に廃止になるまで岡山工場の周辺にある万富駅や、広島工場(現・キリンビアパーク広島)がある東広島駅(現広島貨物ターミナル駅、現在の山陽新幹線東広島駅とは別の駅)に専用線が接続するキリンビール工場へ麦芽を発送していた。

また、現在「HAT神戸」と呼ばれている場所にあった川崎製鉄(現・JFEスチール)阪神製造所や神戸製鋼所神戸製鉄所への専用線があった。川崎製鉄専用線は1970年代まで、神戸製鋼所専用線は1986年(昭和61年)まで鉄鋼製品などを輸送するために使用された。なお、神戸製鋼所専用線の一部は1972年(昭和47年)に摩耶埠頭駅までの国鉄線の一部となり、残部は摩耶埠頭駅分岐扱いになっている。

廃止後

神戸港駅跡地は、震災後の復旧事業の一環として、跡地には2010年(平成22年)1月17日に「神戸震災復興記念公園」がオープンした。駅廃止から公園整備まで7年を要したのは、跡地の土壌が鉛などで汚染されていることが判明し、公園建設前に土壌の入替作業が必要となったためである。なお、阪神・淡路大震災前には、跡地にドーム球場を建設し、オリックス・ブルーウェーブ(現・オリックス・バファローズ)の本拠地とする計画もあった。三宮に近い場所に球場ができることがオリックスの神戸移転の条件であったようだが、建設計画時にJR貨物側が賃貸借契約、オリックス側が買収で意見が割れ頓挫、大阪近鉄バファローズとの合併を機に宮内義彦オーナー(当時)により大阪ドームがホーム試合開催地に選択される遠因となった。

隣の駅

日本貨物鉄道(JR貨物)
東海道本線(貨物支線、神戸港線)
東灘信号場 - 神戸港駅 - 湊川駅
神戸港駅 - 摩耶埠頭駅

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 石野 1998, p. 57.
  2. ^ 石野 1998, pp. 57, 58.
  3. ^ 『兵庫県大百科事典』上,神戸新聞出版センター,1983.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12191805 (参照 2025-02-04)
  4. ^ a b c 石野 1998, p. 58.
  5. ^ レイルマガジン 1987年2月号159頁 (企画室ネコ)

参考文献

  • 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日。ISBN 978-4-533-02980-6 

関連項目


神戸港駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 08:07 UTC 版)

ボート・トレイン」の記事における「神戸港駅」の解説

詳細は「神戸港駅」を参照 神戸港では、東海道本線JR神戸線)の六甲道駅 - 灘駅間(開業当初住吉駅 - 三ノ宮駅間)におかれた東灘信号場から支線分岐する形で、1907年明治40年8月20日貨物駅小野浜荷扱所(後、小野浜駅)が開業して船舶との貨物提携輸送行っていたが、1924年大正13年8月3日にはそこから1.5km離れた新港第四突堤当初新港第一突堤)に神戸港駅(こうべみなとえき)が開業して横浜港駅同様に京都駅 - 神戸港駅間で日本郵船欧州航路接続するボート・トレイン運行始められた。 当初停車駅大阪駅住吉駅であったが、1934年昭和9年7月20日東海道本線・山陽本線吹田駅 - 明石駅電車運転開始に伴い住吉駅電車専用となったため、大阪駅のみ停車変更された。同年12月1日ダイヤ改正時の概況以下の通りである。 (347)京都1214→大阪1250・1251→神戸港1332 (348)神戸港1530→大阪1610・1611→京都1651 その後1939年昭和14年11月1日には小野浜駅と神戸港駅が統合されて神戸港駅(こうべこうえき)となるが、ボート・トレイン第二次世界大戦勃発に伴いいつしか運行休止し戦後復活することはなかった。神戸港駅はその後貨物駅として機能するが、2003年平成15年12月1日神戸貨物ターミナル駅開業に伴い廃止となった

※この「神戸港駅」の解説は、「ボート・トレイン」の解説の一部です。
「神戸港駅」を含む「ボート・トレイン」の記事については、「ボート・トレイン」の概要を参照ください。

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