連合軍占領時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 04:06 UTC 版)
第二次世界大戦が終結すると、連合軍の日本への進駐が開始された。横浜港では新港埠頭などが接収され、臨港線の各駅が進駐軍の輸送の拠点とされた。まずは船で運ばれてきた傷病兵を厚木基地から航空機で帰還させるために、横浜市場駅から厚木駅への輸送から開始された。さらに全国に進駐する部隊やその基地への補給物資の輸送が各駅から行われた。臨港線にかかわる駅から発送された物資としては、横浜港駅および東横浜駅から一般貨物、表高島駅から火薬類・石油類、瑞穂駅から木材・車両類、新興駅から車両類などであった。 臨港線の各駅の中でも、日本に駐屯していた第8軍の司令部(関内)にも近く、貨物駅で日本人旅客と接触することのなかった東横浜駅は便利に使用され、連合軍専用列車の発着にも使用された。一時期は札幌と結ぶ「ヤンキー・リミテッド」が東横浜発着だったことがあったほか、第8軍司令官専用列車「オクタゴニアン」の発着にも使用されていた。また、東横浜駅は冷蔵車を使用した輸送の拠点ともなっていた。アメリカ本国から冷凍船で運ばれてきた肉や野菜は横浜港に陸揚げされ、冷蔵車に搭載して全国の米軍基地に輸送されていた。日本側では冷蔵車は鮮魚輸送に使用するのが一般的で魚の匂いが車両に付着しており、厳しく清掃を要求されていた。常時冷蔵車が東横浜駅構内に待機しており、必要時に横浜港駅の埠頭に回送されて、そこで貨物を搭載して発送作業を行っていた。日本では、魚介類と一緒の箱に氷を入れる「抱き氷」輸送が一般的であったのに対して、進駐軍向け輸送では冷蔵車そのものに装備された氷槽に氷を入れて冷却するアメリカ流の運用が求められ、横浜市内の製氷業者から大量の氷が供給されていた。 朝鮮戦争に際しても、日本に駐屯していたアメリカ軍の派遣が行われ、これに際して貨物輸送が活発に行われた。関東に駐屯していた部隊を九州方面へ送り出す輸送に臨港線が関わったほか、アメリカ本土から船で送られてきた補給物資が横浜港に陸揚げされ、貨物列車で各地へ運ばれていた。
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