平和と繁栄の祈りを通じた友好親善
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「日本とソロモン諸島の関係」の記事における「平和と繁栄の祈りを通じた友好親善」の解説
連合軍占領時代の1946年9月4日、第88回帝国議会開院式で昭和天皇が「朕は終戦に伴ふ幾多の艱苦を克服し国体の精華を発揮して信義を世界に布き平和国家を確立して人類の文化に寄与せむことを冀ひ」との勅語を下賜し、平和国家として再出発することを宣言。平和国家宣言は単なる昭和天皇の意見開陳にとどまらず、同年11月3日の日本国憲法公布、翌1947年5月3日の憲法施行という形で法的に明文化された。 1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約の発効により日本国が独立したが、当時ソロモン諸島を領有していたイギリスも同条約締結国のうちの一国であり、イギリスを経由する形で日本とソロモン諸島の外交関係が回復した。 1965年10月24日、靖國神社慰霊祭参列者2,800人により全国第十七軍ソロモン会(現・全国ソロモン会)が設立される。第十七軍とはガダルカナル島やブーゲンビル島で奮戦した帝国陸軍の軍(ガダルカナル戦以後は師団規模に縮小)のことで、終戦時の司令官は神田正種中将であった。神田中将は全国第十七軍ソロモン会の初代会長に就任し、戦没者の慰霊事業や遺骨収集に尽力した。 1976年4月、竹田恒徳(1947年の皇籍離脱前までは竹田宮恒徳王)がガダルカナル島を慰霊訪問し、かつては敵であったソロモン諸島側の戦友会の手により現地で散華した日本軍の将兵の御霊を祀る塔が建立されていることを目の当たりにして、ソロモン諸島戦友会会長ウイリアム・ベネットを訪問、敵味方に分かれて戦ったという立場を超えた日本軍の将兵への慰霊に対して丁重に感謝して、お互い全太平洋の永遠の平和と繁栄を祈りたいとの決意で見解を一致させた。 1977年10月、近い将来に独立が予定されていたソロモン諸島で後に初代首相となるピーター・ケニローリア(英語版)が訪日し、1年半前に現地を訪問した竹田恒徳の案内で福田赳夫総理と会談、日本とソロモン諸島がかつての敵味方という立場を超えて戦没した犠牲者全てを合祀するというケニローリア首相候補の提案に対して、福田は全面的な賛意を表明した。
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