連合軍団時代の活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/09/06 13:40 UTC 版)
1926年(民国15年)1月に馮玉祥が下野し、その配下の国民軍と奉天派を含む北方各派との戦いが開始される。張学良と韓麟春は、南口で国民軍と戦い、韓の作戦指揮の下で8月にこれを撃破した。また、この戦いの間に呉俊陞配下の軍が略奪等を繰り広げたため、張と韓は即座に略奪に関わった軍官を粛清して奉天派の威信を保った。 同年12月1日に張作霖が安国軍総司令となると、韓麟春は陸軍上将に昇進した。1927年(民国16年)、張学良と韓は、各地で中国国民党の北伐軍と戦った。しかし作戦上の対立から、次第に両者の関係が悪化していく。同年6月、韓は安国軍第4軍団長に任命された。8月、韓は国民党が派遣してきた何成濬(陸軍士官学校時代の同期)と密かに面会した。これは、後の東北軍と国民党との交渉の嚆矢となっている。1930年(民国19年)1月18日、奉天市で病没。享年46。
※この「連合軍団時代の活動」の解説は、「韓麟春」の解説の一部です。
「連合軍団時代の活動」を含む「韓麟春」の記事については、「韓麟春」の概要を参照ください。
- 連合軍団時代の活動のページへのリンク