様々な資本概念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 15:10 UTC 版)
種々の考察領域において多様な資本概念が輩出されているが、その主要なものは以下である。 自然資本 自然を分離対象とみなすか(近代西欧)非分離対象とみなすか(日本など)で、自然資本の活用の仕方が異なる。 社会資本 公的な建造物や建造環境が社会配置された社会資本と、地縁や同窓などの社会関係資本とがある。 教育資本 学校教育で獲得された能力。知識、資格。学歴(学校資本)などと学校落差、成績格差など、ヒエラルキー化される。教育への投資も含まれる。 人的資本 生産性へ寄与する諸個人の教育によって形成された能力・技能などの資本。 文化資本 身体化された資本、制度化された資本、文化遺産とされたが、言語資本の領有のように個人化されたスキル資本、文化様式の違いなど。 知的資本 知識に対する知識の作用、思惟を思惟する、客観化を客観化する知的な働き。 情緒資本 感覚、感性、情緒の働き。 象徴資本 象徴的に統御された資本で、ブランドや象徴的信頼・信用・権威を構成する。 場所資本 場所ごとに固有の歴史的・環境的に蓄積されてきた資本。 情報資本 場所から発信される情報生成された資本。本や映像などの情報。 環境資本 生態系、水系、動態系など生活へ有用化される環境の力。 国家資本 国家へ統一・統合された資本で、能力の再生産様式として官僚統治された資本。の再生産様式として官僚統治された資本。 などなど、まだ、他にもあるが、資本経済は、商品経済の陰に隠れて物的実体としての経済でしか認知されていなかったが、資本は資金や資財の物的実体だけではない、資本は関係であり、諸個人へ領有されるものであり、組織体を構成し動かしているものであり、触知しえないものから触知しえるものを生産する力であり、関係の位置取りによって動きを変えるものである。経済、政治、文化、環境のすべての領野の根源で働き動いている。資本経済の言説生産が、文化資本学会や資本開発学会においてなされようとしているが、記憶喪失され忘却されていただけで、歴史過程の中に多様に存在して関係作用していたものである。時代が変化するとき、資本関係が配置換えされる。例えば、明治政府は、寺社、特に国つ神の配置替えをもって幻想資本を配置換えし、国家語としての国語を編制し、述語的言語様式を主語制言語様式へと言語資本を配置換えし、太陽暦へと時間資本を変え、学制によって学校教育資本を構成し、殖産興業によって産業資本を構成し、地租改正によって税資本を転じ、新たな国家資本の構造を統合化した。着物を洋服に変え、食文化を変え、住居環境も変えて、生活資本の総配置換えをなして近代化を促進した。そして社会均一空間を規範化へ「生権力」として構成し、資本を商品<社会>経済化する仕組みへと組み替えた。資本秩序の組み替えがなされたのだ。商品経済は最低限のものをより多く分配しうるシステムであるが、その形式化が実質化していくのは、戦後であり、高度成長期において基盤が完成されていく。資本経済は商品経済であるかのように消費社会が構成される。良き日本が失われたと嘆息されるのは、国土全体の組み替えによって、文化資本秩序が転じられてしまったからである。だが、日本人は、今だに、主語なき言語表出をなし、神に祈り手を合わせ、場所の祭を保持し、着物を時に着、箸でご飯を食べ、扉の左右引き戸を作ったりしている。 資本経済は、前近代から前古代までの日本の本質文化を再考することから、世界へ寄与しうる可能性を西欧的普遍主義に変わって普遍構築すると文化資本学会は研究している。表象体系を近代人間体系の学問体系に転じてきた、そのエピステモロジックな転移が要される。
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