植民地時代の任命(1702年-1776年)
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「ニュージャージー州副知事」の記事における「植民地時代の任命(1702年-1776年)」の解説
ニュージャージー植民地時代(英語)(1664年–1702年)、東ジャージー(East Jersey)と西ジャージー(West Jersey)に分断されると、初期には常時ロンドン暮らしで不在の州知事およびその主要投資家(「地主」)を代表する北アメリカ在住の代理人が統治した。1702年になると東西ジャージーの地主は政治的権威を放棄しイギリスのアン女王に差し出している。女王により東西ジャージーを王領植民地(英語版)に統合、王命による植民地総督に統治させた。 植民地時代にニュージャージー副知事に就任したのは合計2人、1702年–1709年と1755年–1757年の2回のみで、いずれもごく短期間、イギリスの君主から直接、任命された。植民地時代のほぼ全期間にわたり、王命による知事の辞任や長期欠席または死没の場合、州は州評議会(別称「総督評議会」)つまり植民地議会の上院議長を「総督代行」に当てて統治されている。評議会の会長職とは最古参議員に与えられる儀礼上の名誉職であった。 リチャード・インゴルズビー(英語版) (1719年没) はブリテンン王国陸軍大尉であり、ライスラーの反乱後、王権回復の使命を帯びてニューヨーク州に派遣され、1702年11月ニュージャージー州とニューヨーク州の副知事に任命された。インゴルズビーは初代植民地王命総督エドワード・ハイド (第3代コーンベリー伯爵)(英語版)に続き次代のジョン・ラブレース (第4代ラブレース男爵)(英語版)に仕えた。たびたびニュージャージーを不在にするコーンベリー伯爵はもっぱらニューヨークでの政治に精力を傾けたが、インゴルズビーは統治権の代行をまったく許されないまま伯爵の突然死(1709年5月6日)の直後、知事代行に就任する。しかしながら、植民地の地主が集まった対抗派閥は知事代行の権限の無効を主張し、任務遂行にあらがう動きをみせる。ニュージャージー州から兵をカナダに送り、フランス植民地の侵略計画の支援部隊に当てる案があり、インゴルズビーは派閥への報復として派兵を実行、植民地のクエーカー指導者たちからますます激しい怒りを買った。知事代行の立場は1709年10月のうちに取り消されたものの、失脚の知らせは翌1710年4月まで本人には知らされなかったという。 第2代の副知事トマス・パウナル(1722年–1805年)は王命知事ジョナサン・ベルチャー(1681年2月–1757年)のもと、1755年に任命される。在職期間の大部分にわたり、進行性麻痺性障害により衰弱が進む高齢の知事の死期を予測する以外、パウネルにはほとんど職責を負わせていない。ところがベルチャーは予測に反してなかなか臨終を迎えずパウネルは焦りはじめる。1756年にイングランドに渡ると、パウネルはペンシルベニア州知事職を打診され、多岐にわたる権限を要求したために提案は取り下げられた。イングランド滞在中に初代ニューカッスル公が組閣したイングランド内閣と近臣の外交問題顧問ウィリアム・ピットを相手に、七年戦争(当時の通称は北アメリカのフレンチインディアン戦争)に関して植民地の状況を助言している。その洞察と一次情報はグレートブリテン連合王国のパウネルの上席に感銘を与え、1757年3月にマサチューセッツ植民地総督を拝命する。 パウネルのボストン到着は1757年8月3日、総督に就任した同年8月31日、ベルチャー死去が伝わるがパウネルはニュージャージー州知事に任命されずマサチューセッツ植民地総督に留まったことにより、ニュージャージー州を託された「知事代行」ジョン・レディング(英語版)(1686年–1767年)が2期目を—知事代行と、既に就任していた知事評議会議長職を兼務した。レディングは最初こそパウネルのニュージャージー州帰着と知事代行職の継承を要請したものの不首尾に終わり、結果として職務を渋々引き受けている。 インゴルズビーが1710年に辞職させられてからパウネル就任まで、王命知事4人(ジョン・モンゴメリ、サー・ウィリアム・コスビー、ルイス・モリスとJ・ベルチャー)が在任中に死去し、地方議会出身の知事代行が継承している。それら知事代行のうちの2人(ジョン・アンダーソンとジョン・ハミルトン)もやはり任期半ばに死去したため、その職位は地方議会選出の知事代行によって継承された。 「ニュージャージー植民地総督」も参照
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