植民地時代の人口減少
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 13:58 UTC 版)
詳細は「en:Population history of indigenous peoples of the Americas」を参照 その後スペインはアステカ帝国住民から金銀財宝を略奪し徹底的に首都・テノチティトランを破壊しつくして、遺構の上に植民地ヌエバ・エスパーニャの首都(メキシコシティ)を建設した。多くの人々が旧大陸から伝わった疫病に感染して、そのため地域の人口が激減した(但し、当時の検視記録や医療記録からみて、もともと現地にあった出血熱のような疫病であるとも言われている)。 その犠牲者は征服前の人口はおよそ1100万人であったと推測されるが、1600年の人口調査では、先住民の人口は100万程度になっていた。スペイン人は暴虐の限りを尽くしたうえに、疫病により免疫のない先住民は短期間のうちに激減した。
※この「植民地時代の人口減少」の解説は、「アステカ」の解説の一部です。
「植民地時代の人口減少」を含む「アステカ」の記事については、「アステカ」の概要を参照ください。
- 植民地時代の人口減少のページへのリンク