植民地時代と独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/11 19:11 UTC 版)
詳細は「フランス領チャド(英語版)」を参照 1900年4月22日にラビーフ・アッ=ズバイルとフランスとの間で戦闘が起きた(クッスリの戦い(英語版))。ズバイルはこの戦闘で死亡し、フランス側の勝利で終わった(フランス領チャド(英語版)が成立)。その後も、諸民族との武力闘争は続いていたものの(ワダイ戦争(ドイツ語版) - Wadai War, 1909年 - 1912年)、1910年にフランスはチャドの併合を断行し、フランス領赤道アフリカ(1910年 - 1958年)と改称した。1913年頃までにはチャド全域の支配を確立し、1920年には正式にフランス領赤道アフリカへ編入された。チャド領の支配は、現在のコンゴ共和国の首都ブラザヴィルに置かれた総督が行った。 フランスのチャド経営は、南部への綿花農場投資を重点的に行われた。北部でのフランスへの不満は蓄積された。南部でも徴税を巡り徐々に反フランスの雰囲気が広まっていった。 第二次世界大戦ではシャルル・ド・ゴールの呼びかけに応じ、自由フランス政府を支持した。 1957年に自治が認められ、チャド進歩党の党首、ガブリエル・リセットが最初の政府を組織した。1958年には、自治共和国が宣言された。
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