植民地時代から南北戦争まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 00:46 UTC 版)
「アメリカ合衆国の競馬」の記事における「植民地時代から南北戦争まで」の解説
アメリカの競馬は初期の植民者たちがイギリスから競馬を持ち込んだことに始まる。禁欲を旨とするピューリタンたちからは白い目で見られていたが、少なくとも17世紀半ばまでには植民地全体の人気娯楽となっていた。最初期の競馬は森の中の細い道やあるいは町中の街路で行われていた。例えばフィラデルフィアの中心部にあった「サッサフラスストリート」は「レースストリート」に改名されている。しかしこのことは深刻な騒音問題を引き起こし住民の反対によりレースの開催地を郊外へと移さざるを得なくなった。この状況を受けて、1665年にニューヨーク植民地知事のリチャード・ニコルズは現在のヘムステッドにアメリカで初の競馬場となるロングアイランド競馬場を設立させた。これにメリーランド植民地・バージニア植民地などが続いて競馬場を開設した。 元々イギリスでは貴族のスポーツである競馬はアメリカでも当初はそうであった。1670年にバージニアで成立した法律は競馬から労働者階級を締め出すものであり、また1674年にヨーク郡での裁判ではテイラーが貴族とレースを行ったことで罰を受けている。しかしそのような状況でも労働者の間での競馬人気は高まる一方であり、多数の労働者たちが観客・賭博客として競馬に参加した。 競馬人気の高まりと共に競馬場もレースの数も急増し、統一されたルール策定が必要となっていた。これに応えて1735年、サウスカロライナ州チャールストンにアメリカで初のジョッキークラブが組織された。その23年後に同じチャールストンで別のジョッキークラブが発足。このジョッキークラブはアメリカではじめて競走馬の血統登録を行った組織である。 レースの人気に応じてより質の高い競走馬の生産を求めて、本家イギリスから種牡馬・繁殖牝馬の輸入がさらに盛んに行われるようになった。史料で血統が確認できるうちで最も早い時期(1730年)に輸入されたとされるのがブルロック(英語版)(Bully Rockとも)という父ダーレーアラビアン・母父バイアリータークの牡馬である。その他にも多数の馬が輸入された。その中でも有名なものが種牡馬スパーク (競走馬)(英語版)と繁殖牝馬クイーンマブ(英語版)である。しかしアメリカ独立戦争が始まると競走馬の輸入はストップ、更に戦争に馬が駆り出されるようになると多くの競走馬が犠牲になった。 戦後は再び競馬人気が上昇。1802年にはニューヨークで競馬防止法が成立するなど保守派からの反対はますます激しいものとなっていたが、それにも関わらず隆盛の時を迎えた。 イギリスからの輸入も再開され、1796年には第1回ダービー優勝馬ダイオメドが輸入されて種牡馬として大成功を収めた。更にその子孫たちも繁栄し、19世紀のアメリカ競馬界はダイオメドの子孫たちが支配していた。そのダイオメドの孫にあたる北部代表アメリカンエクリプスと南部代表サーヘンリーとで行われた1823年の南北対抗戦のヒートレースは2万5千ドルという巨額の賞金がかかり、6万人の大観衆を集めた。その観衆の中の一人が当時のフロリダ知事で後の第7代大統領アンドリュー・ジャクソンである。ジャクソンはホワイトハウスに厩舎を作らせるほどの競馬好きであった。この時期に競馬はアメリカ東部から中央部まで広がり、更にゴールドラッシュの波に乗って西部まで広がっていった。 この時期の競馬の特徴としてレースの距離が非常に長いことが挙げられる。競馬の発祥国であるイギリスでは、4マイル(約6.4キロメートル)もあるような競走やヒートレースは18世紀のうちに下火になり、19世紀半ばには、3歳や4歳の若馬による1マイル(約1609メートル)から1マイル半(約2414メートル)ほどの短距離で行われる「英国クラシック」が主流になった。アメリカの競馬界は、イギリス国内でのこうした「短距離化」を冷ややかな目で見ていた。アメリカでは数マイルから時には20マイルにもなるような距離で負担に耐え、スタミナを競う競馬が信奉された。ただアメリカでも1840年代ころから「短距離化」が進み、少なくとも20世紀に入ってからは長距離レースはマイナーなのものになっていた。 長距離レースとは並行して4分の1マイルという短距離レースも盛んに行われていた。主にヴァージニアとノースカロライナ植民地で行われていたこのレース用に改良されて誕生したのがクォーターホースである。イギリス馬とアメリカ先住民の所有していた小柄なアンダルシア馬との交配で誕生したこの種は少なくとも1760年ごろより前には成立していたと考えられる。
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