植民地時代と領有権問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 06:22 UTC 版)
「トゥンベス」の記事における「植民地時代と領有権問題」の解説
植民地時代のトゥンベスの人口はまばらで、キト王立アウディエンシアに帰属した。1563年と1740年のセドゥラ(特許状)でも、その所属は変わらなかった。トゥンベスがスペインからの独立を宣言すると[誰?]、住民はペルーへの編入を選択した。これにはまず大コロンビア共和国が翻意をうながし、エクアドルも植民地時代の特許状を理由に領有権を主張したが、徒労に終わった。1942年のリオデジャネイロ議定書で、エクアドルはペルーの領有権を事実上認めたが、恒久的な平和は1995年に最後の武力衝突が起きたあとの1998年まで訪れなかった。その年、ペルーのアルベルト・フジモリ大統領とエクアドルのハミル・マワ大統領は最終文書であるブラジリア議定書に調印し、エクアドルはそれまで領有権を主張していた、トゥンベスその他におけるペルーの領有権を改めて承認した。
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