査読制度への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 17:40 UTC 版)
ボグダノフ事件の絶頂期に、いくつかのメディアによる報道は理論物理に対し否定的な光を当て、正当な論文と悪戯とを見分けるのが不可能になってきていると述べるか少なくともそう強く示唆した。Overbye は『ニューヨーク・タイムズ』紙に書いた記事でこの意見を述べ、例として Declan Butler による『ネイチャー』誌の記事を挙げている。事件はブログやユーズネットに貼られたポスターでは弦理論の現状を批判するのに使われた。この理由から、Woit は弦理論に非常に批判的な著書『ストリング理論は科学か—現代物理学と数学』でこの事件にひとつの章を割いている。一方で、George Johnson による『ニューヨーク・タイムズ』の記事では、物理学者たちは通常その論文を「多分ただ、ぼんやりした思考と、下手な文章と、掲載誌の査読官にとって誤字脱字を訂正する方が思考に挑戦するより快適なこととの結果だ」と判断している、と結論付けている。さらに、Aaron Bergman は『ストリング理論は科学か』をレビューするなかで Woit の結論に対し物理学者として下記のように指摘した。 (その結論は)いくつもの重要な省略によって弱められており、その中で最も重大なものは、理解できる限りではボグダノフ兄弟の論文は弦理論とはほとんど関係ないという記述である。…私は John Baez 博士がインターネットに投稿した関連する論文によってそのことに初めて気付いた。その関連する論文のうちのひとつがオンラインでコピーを入手できることに気付き、私は「査読官は明らかに一瞥さえしていない」と投稿した。論文は幅広い分野についてのやや難解な散文ではあるものの、いくらか専門的知識を持っている分野に関しては公然としたナンセンスを特定するのは簡単だった。…ふたりの非・弦理論学者は、一般的に弦理論に関するものでないナンセンスな論文を一般的に弦理論学者は使わない専門誌に掲載させることができた。これは確実に何かを告発しているものの、弦理論とは最大限にみてもほんの僅かな関係しかない。 Jacques Distler は、メディアによる報道のトーンは物理学よりも専門誌の慣習に関係している、と洞察した。 ボグダノフ事件に関する予想通りの記事がニューヨーク・タイムズに現れた。ああ、適切な新聞記事は「議論」を扱わなければならないというよくある報道の自負心のせいで劣ったものになっている。議論には2つの面があるべきで、記者の仕事は両方の派閥から話を引き出して両論併記することだ。ほとんど必然的に、この「バランスのよい」方法は事実に対して何の光も当てず、ずっと読者は頭を振りながらこう言うことになる。「またやってるよ…。」 出版論文への査読制度の持ちうる欠点や、また博士論文の受理とそれに続く博士号授与の基準についても多くの意見が述べられた。Annals of Physics の編集者 フランク・ウィルチェック(今ではノーベル物理学賞受賞者)は新聞に対し、事件が一層の査読義務を編集部に課すことなどによって揺れのある編集基準を正すきっかけになった、と述べた。 議論より前には、ボグダノフ兄弟の博士論文に対する報告とほとんどの査読官の報告は兄弟の仕事について、独自で興味深いアイデアを含む、と好意的に評価していた。そのことが、科学界や研究教育機関によって原稿を出版する価値を見積もるのに使われる査読制度の有効性に対する懸念が高まった背景となっている。ひとつの考察は、働き過ぎで無給の査読官にとって論文の価値を完全に判断するのは費やせる時間がほとんどないため不可能だろう、というものである。 ボグダノフの出版に対して、物理学者 Steve Carlip は以下のように述べた: 査読官はボランティアで、概してとてつもない量の仕事を、名前が載ることもなく、お金も払われず、業界の大半ではほとんどまたはまったく知られることもなくこなしている。時には査読官は間違いを犯す。時には2人の査読官が同時に間違いを犯す。 誰もが驚いていることに私は少々驚いている。間違いなくあなたは出来の悪い論文が良質な専門誌に掲載されているのをそれ以前にも見たことがあるはずだ! …査読官はこのような意見を述べた:本当の査読は論文が出版された後に始まる 。 Carlip の論理に沿って、より後に出た物理論文からのボグダノフ論文への参照を調べることによって業界への影響を推察することができる。6本の出版論文と1本の未出版草稿を合わせてボグダノフ論文は SPIRES データベースでは全部で3回引用されている。比較のために記すと、引用に関する統計の最近の詳細な分析によると、完全な教授職またはアメリカ物理学会の特別研究員になるには1000件から2000件、全米科学アカデミーの会員では8000件前後の引用が期待されることが明らかになっている。宇宙論シナリオに絞ると、「エキピロティック宇宙」として知られる最近提起された議論の余地のある宇宙論モデルは、2001年に出版されてから2007年3月で既に440回以上引用されている。議論が沸き起こる前、自然科学界では実質上ボグダノフ論文に対し何の興味も示されていなかった。実際、ニューヨーク州立大学ストーニブルック校の物理学教授 Jacobus Verbaarschot は、悪戯だという風評がなければ「恐らく誰も彼らの論文について知ることはなかっただろう」と述べている。 この項目が書かれている現在のところ、ボグダノフ兄弟は科学論文を2003年以来出していない。しかし、理論物理学者 Arkadiusz Jadczyk と共同で彼らの理論を研究し発展させるための the International Institute of Mathematical Physics を設立している。名称は似ているものの、この研究所はオーストリアのウィーンにある Erwin Schrödinger International Institute for Mathematical Physics とは無関係である。Jadczyk は所属をこの研究所として2本の論文を査読のある専門誌で出版した。その2本の論文の内容はボグダノフ兄弟による以前の論文とは深い関係はない。
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