東海の地形と不思議な関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/02 08:35 UTC 版)
「浜名湖ロマン」の記事における「東海の地形と不思議な関係」の解説
■ 浜名湖: 浜名橋と角避比古神社 古代及び中世の浜名湖の南部には、東西を往来する浜名橋が架かっていたという。しかし、今もその場所が何処であったか特定されていない。同じように、その往来時に参拝されたと言われる、角避比古神社も現在どこにあったか特定されていない。 ■富士山:富士山と簪(かんざし) 富士山は日本の最高峰と言われるだけでなく、その神秘的で美しい山の姿から霊峰と崇められ、今も昔も、人々は山の姿を見るだけで何か圧倒され、また、清々しさを感じるようである。 ■御前崎: 御前崎の地名 浜名湖を眼とした人物像の頭部は冠を被っているように見える。その先端は御前崎である。地名の由来は御厩崎(うまやざき)から転化したという説があるが、何となく釈然としない。 この御前崎には、毎年カツオの食べ頃になると、海に突き出た高台の宿に泊まる事にしている。地元の年配の女性の話によると、不思議にも海辺の高台でも、飲料できる井戸があり、遠く東京や関西から何時、何分に汲み上げた水を求めに来る人達がいたのを子供の頃良く見かけたという。この御前崎も神聖な場所なのである。 話は戻り、この御前崎という地名であるが、御前崎は“御前=ごぜん”の先という意味だと思うが、この“御前=ごぜん”とは、御前会議などの天皇や神々の前を指す事である。 つまり、この地は御前の先であって、人物像が理解できて初めて名が付いたと考えられる。前述の通り、当時の人達はこの地形の意味するものを充分理解していたと考えられる。 この仮説はどうだろうか。当時の人には浜名湖を眼とした人物の地形が形として理解できたのではないだろうか。 例えば、同じような古い時代のナスカの地上絵を考えてみてはどうだろうか。現代人には既に失われたかもしれないが、当時の人達は広い土地であっても、歩くという行為で、頭に地形を浮かべられる能力があったのではないか。 これの一つの実証と考えられるものに、サッカーのような集団で行われるスポーツに於いて、地上では目の高さで見て競い合っているものの、鍛錬された選手の中には俯瞰図で見えるという事がテレビ報道で紹介されていた。鍛錬すれば、既に失われたと思える潜在的な能力を呼び起こせるのかもしれない。 こうした能力は浜名湖を見る東海の人達もナスカの人達も同じだったと思う。この能力を考えると、唯一、現代人に残された臭覚の能力が似ていると思う。 例えば背中の後ろに、ある料理が運ばれてきた場合、それを見なくても判別できる能力はまだ失われてはいないようである。しかし、将来は退化してしまうかもしれない。現代人は進歩しているのか退化しているのか、分かり難い狭間で行動しているようである。 因みに、御前崎の元日の日の出は、伊豆諸島の神の集まる島である神津島方面から上がり、日の入りは本州最南端の潮岬、そして九州最南端の佐多岬に下がり、太平洋側の岬が重なる。これらは当時、東海の地形から現れる人物像を知り、太陽神を敬う海洋民族とっては大変意味のある土地柄だったかもしれない。今となっては尋ねる事も出来ないロマンである。 ■渥美半島: 花の伝承 浜名湖を眼とした人物像の“鼻”の部分は長く伸びた渥美半島である。渥美半島の生産物としては、電照菊やメロンなどが有名であり“花”の関連の出荷量は概ね日本一である。 ■東三河: ほの国 愛知県の東三河地方(豊橋市、豊川市、蒲郡市、新城市、田原市、設楽町、東栄町、豊根村)は大化以来“ほの国”と呼ばれていたと、豊橋市の観光関連の広報に記されている。現在、豊橋周辺には“ほの国”の名が付く公共施設や劇場があり、また、豊橋で行われるマラソンの冠名にもなっている。 ■南信州 下伊那郡: 果実(実・実=耳)の村 下伊那郡は長野県の南部に位置する複数の町村で構成されている、いわゆる三遠南信と呼ばれる地域であり、諏訪湖周辺から産出した古代の生活用具の黒曜石の供給ルートで、古くから浜名湖とは縁の深い地域である。 ■知多半島: 舌は味覚のかなめ 浮かび上がる人物像の顎にあたる部分は知多半島である。この付根の舌の部分は愛知県の半田市や碧南市そして武豊町にあたる。舌は甘味、塩味、うま味、酸味、苦味などの味を感じる所であり、料理と深い関係がある。この料理に大きく影響を与えるのが調味料である。 ■三河湾三島: 神々の食事の地 三河湾に浮かぶ篠島、日間賀島、佐久島の三河湾三島は、魚介類の豊富な漁場である。そして古代から伊勢神宮との繋がりの深い土地柄であり、伊勢神宮への食物の朝貢の地でもある。そうした点で島内には関連した施設や行事が長い年月に渡って引き継がれている。 この三島には縄文や弥生時代の遺跡があり、古墳も多数発見されている。古代から伊勢湾、三河湾の水上交通の要の地として栄え、現在も渥美半島や知多半島からの定期船や高速船が頻繁に航行している。 三河湾三島は人物像の口の前にあり、まさに、島自体が口の中に入ろうとする食物の様である。三河三島は古くから言われてきた神々の食事の地と言われ続けてきたが地形的にもそれが証明された感じがする。
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