映画音楽でのエピソード
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映画音楽デビュー作『銀嶺の果て』は、監督の谷口千吉にとっても、また主演の三船敏郎にとってもデビュー作であった。その『銀嶺の果て』の打ち上げの席で、小杉義男に、「あんた、監督さんにあんなふうに口答えするなんてどういうつもりなんだ」と、論争したことをとがめられた。しかし小杉が離れたあと、志村喬がやってきて、「音楽の入れ方で監督と論争する人は初めてだ。これからも大いに頑張りなさい」と励まされた。 1948年(昭和23年)、映画の仕事で京都に滞在していた際に、撮影所そばの小料理屋の二階で月形龍之介とこたつで酒を飲んでいると、途中から入ってきた男がいた。「またもらい酒か」などと言われながらもニコニコしながら酒をおごってもらい、名前も名乗らぬままおごり酒に酔いつつ飄逸、洒脱な話題で延々大飲した。その際の俳優や映画会社への愚痴から、伊福部は「不遇な映画人」という印象を受けたという。伊福部はその男と気が合い、その後も数年間、お互いの名前も分からないままたびたび会っては酒をおごらされていた。この男こそ特技監督の円谷英二で、当時、円谷は公職追放中の身であった。のちに映画『ゴジラ』の製作発表の現場でバッタリ再会し、2人とも大変驚き、またお互いに初めて相手の名前を知ったという。 円谷英二は特撮のラッシュ・フィルム(編集前の現像されたばかりのフィルム)を、他人に決して見せなかったが、特別にラッシュを見せてもらい、作曲に活かしていた。これも数年間にわたる円谷へのおごり酒が背景にあり、冗談めかして「なにしろ円谷さんにはそういう“神の施し”があったもんですから」と語っている。また、『サンダカン八番娼館 望郷』などでコンビを組んだ熊井啓も、「作曲家はふつう、編集ずみのフィルムを見て音楽をつけるが、伊福部さんは撮影されたフィルムを全部見ていた」と証言している。 『座頭市』シリーズなどで仕事を共にした勝新太郎とは、「勝っちゃん」「先生」と呼び合う仲で、後に勝が舞台で座頭市を行う際、オープニングは伊福部のボレロでなければならない、と言うことで伊福部に音楽を依頼したと言う。 伊福部は、映画音楽では録音テストの際、必ず自ら指揮棒を振った。伊福部と映画作品でのコンビの長かった指揮者の森田吾一によると、その際、普通の倍の長さの指揮棒を使うのが常だった。また、このテストの際の指揮のテンポが次第に遅くなって、スクリーンに映写した画面といつも合わなくなるのだが、それは伊福部が音楽の響きをチェックしていたためだという。 これも森田によると、伊福部のスコアは作曲時間の短さに関わらず、非常に細かくしっかりと書き込まれており、曲の途中に複雑な変拍子が入るのも特徴で、この変拍子を振るのはコツがいるものだった。 『ゴジラ』では、なかなか決まらず難儀していたゴジラの鳴き声の表現に、コントラバスのスル・ポンティチェロというきしんだ奏法の音を使用することを発案したり、劇中での秘密兵器オキシジェン・デストロイヤーを水槽内で実験するシーンでは、弦楽器がグリッサンドしながら高音のきしんだトレモロを奏でた後、ピアノの低音部でトーン・クラスターを奏するなど、映画の公開された1954年(昭和29年)にはまだ現代音楽界でも認知されていなかった手法を大胆に用いたことは、世界的に見ても特筆に価するものだった。さらに『空の大怪獣ラドン』では、ピアノ内のピアノ線を直接ゴムのバチで叩いたり、『キングコングの逆襲』のメインタイトル曲では、同じくグランドピアノ内の弦を100円玉でしごくという奏法を使用している。怪獣の効果音で最も苦労したものとして、『キングコング対ゴジラ』の大ダコを挙げている。 『フランケンシュタイン対地底怪獣』では、伊福部はフランケンシュタインのテーマ曲のためにバス・フルートという通常のフルートより低音の楽器を日本の映画界で初使用している。この楽器は当時日本には1本しかなかった非常に珍しいもので、音量の低さからオーケストラ演奏では稀にしか用いられないものだが、伊福部は「映画音楽しかできませんね」と、マイクロフォンを用いることで効果的な旋律を実現している。 伊福部は東宝作品の音楽を数多く手がけたが、黒澤明作品は、『静かなる決闘』1作のみである。映像と音楽の弁証法的な融合を目指した黒澤にとって、伊福部の訴求力・完結性の高い音楽は相容れないものであったと考えられる。伊福部自身も、黒澤作品における音楽の付けにくさについては後に証言している。だが、音楽にも造詣の深い黒澤は、作曲家としての伊福部の能力を非常に高く評価しており、『静かなる決闘』における土俗的な音楽についても一定の評価をしていた。また、伊福部の映画音楽デビュー作『銀嶺の果て』(谷口千吉監督)は、黒澤が脚本を手がけ、製作にも関わっていたが、あるシーンに入れる音楽のことで伊福部と監督の谷口が対立した際、黒澤は全面的に伊福部を支持している。この時は結局伊福部の主張が通った形となったが、出来上がった音楽は谷口をも十分納得させるものであった。 書籍『東宝特撮映画全史』での寄稿「特撮映画の音楽」で、特撮映画の音楽について感ずることとして、 一般映画においては納得しがたい観念的な芸術論に悩まされることが多いが、特撮映画ではこれはほぼ皆無である ドラマツルギーに支配されすぎると、音楽は自律性を失いスポイルされるものだが、特撮映画にはその危険性はなく伸び伸びと作曲ができる 音楽は本来、音楽以外表現できないものだが、スクリーンの映像と結合すると「効用音楽」として不思議な効果を生む と述べ、「音楽としての自立性を失わずに、こういった効果を万全に利用できるのが特撮映画音楽の特質の一つである」と結論付けている。同時に「今日、テクノロジイが発達しすぎたためか、映像も音楽も無機質に流れ人間性から離れる傾向があり、今一度本来の人間性にたちかえった特撮映画の復活を望む」と締めくくっている。また、伊福部の特撮映画の作品別全長版サウンド・トラックのレコードは1980年代まで長らく発売されなかったが、これも「映画音楽は、映像と合わさって効果を生むものなので、一般音楽とは違うもの」との考えから許可を出さなかったものと述べている。 自身が担当していなかった時期のゴジラシリーズについては、作品がコミック的になっていったため自身の作風ではイメージを表現しづらいとの考えから引き受けなかったと述べている。
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