銀嶺の果てとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 製品 > 芸術・創作物 > 映画 > 映画作品 > 銀嶺の果ての意味・解説 

ぎんれいのはて【銀嶺の果て】


銀嶺の果て

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/15 08:17 UTC 版)

銀嶺の果て
Snow Trail
監督 谷口千吉
脚本
製作 田中友幸
出演者
音楽 伊福部昭
撮影 瀬川順一
製作会社 東宝
配給 東宝
公開 1947年8月5日[1]
上映時間 88分
製作国 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

銀嶺の果て』(ぎんれいのはて)は、1947年(昭和22年)8月5日公開の日本映画である。東宝製作・配給。監督谷口千吉モノクロスタンダード、88分。

黒澤明が執筆したオリジナル脚本『山小屋の三悪人』を、谷口がメガホンを取った監督第1作。冬の日本アルプスでロケーションを行った山岳アクション映画であり[2]三船敏郎のデビュー作であると共に伊福部昭が初めて映画音楽を手がけた作品でもある[2][1]

第21回キネマ旬報ベスト・テン第7位。東宝からDVDが発売されている。

あらすじ

「銀行破り三人組 長野縣下に遁走!」の新聞見出しが踊る。野尻、江島、高杉の3人は銀行強盗を働き、冬の北アルプスに逃げ込む。しかし、捜索隊が追いかける中、高杉は雪崩に巻き込まれて姿を消してしまう。運良く助かった2人はスキー小屋に辿り着くが、そこには老人と、その孫娘の春坊、登山家の本田がいた。酒を出されて一泊するが、後一週間は動けないといわれる。次第に野尻は彼らの温かな人情に心を動かされるが、世間との接触を極度に恐れた江島はラジオの電池が切れていたが、伝書鳩を殺してしまう。

翌日はスキーなどをして楽しみ、野尻は春坊から「ケンタッキーのわが家」を聞かされて亡くした子どもを思い出す。本田が「ローゼンモルゲン」、朝焼けの山を楽しんでいる時、江島が本田を脅迫して案内させる。夜になり、本田を先頭に凍てついた雪渓を歩き始める。頂上で江島が足を滑らせ、野尻まで落ち、本田は全身の力で二人の重みを支えるが、腕にザイルを巻き付けたまま自由を失う。やっと岩登りをして二人は本田のところまで来たが、腕を折って動けない本田を放って行こうという江島に対し、野尻が反対し、戦いが始まる。雪庇が崩れ、二人落ちていくが、江島は命を失ってしまう。必死の思いで本田を助けようと下山を始める野尻。ザイルをどうして切らなかったのか、という野尻に「ザイルが切れなかっただけで、山の掟ですよ」という。ようやく本田を運んだ山小屋には警官たちが待機していた。野尻は七得ナイフをプレゼントした春坊に蜂蜜を差し出されて心洗われる。本田に謝ると「また山で会いましょう」と挨拶される。野尻はレコードの音を聞きながら、下山し、列車の中で「もういっぺん山が見てえ」と願って手錠のかかった手で車窓を拭く。

スタッフ

キャスト

音楽

音楽を担当した作曲家の伊福部昭は、一見明るい場面に物悲しい音楽を付けた。追われる身である主人公が女性とスキーを楽しむというこの映画の中で唯一明るい場面なのだが、伊福部はイングリッシュホルン一本のみで悲しげな旋律をつけ、主人公の宿命を描いた。監督の谷口千吉ワルトトイフェルの『スケーターズ・ワルツ』のような明るい音楽を想定していたので対立した。その日の録音を取りやめ、演奏者に帰ってもらった後、数時間議論を続けたという。このとき仲裁をしたのが脚本の黒澤明であった。

黒澤の仲裁もあって曲はそのまま採用されたが、断片的な場面ごとではなく、作品全体を見渡した結果としての主人公の心情を表した音楽を意図したことが認められ、最終的には音楽への真摯な態度が製作側からも評価された。それ以降、映画音楽作曲家としての伊福部のキャリアが始まった。

本作のメインタイトルとして使用された曲は『空の大怪獣ラドン』で「ラドン追撃せよ」の曲としてアレンジされて使用されている[1]。また、一部の楽曲は『ゴジラ』(1954年版)で使用された楽曲の原型ともなっている[1]

その他 

  • 岡本喜八と三船敏郎は下積み時代、同じ下宿に住んでいた。「銀嶺の果て」では岡本が助監督、三船が俳優として参加し、二人は一番近くにいた。以来、「喜八ちゃん」「三船ちゃん」の間柄であり後に岡本が独立プロを立ち上げた際には「どうぞ三船プロダクションのスタジオを使ってください」と便宜を図っていた。
  • 江島は飛行服を着ており、荒々しい所作と相まって、軍隊帰りであることをうかがわせるキャラクターである。
  • 黒澤明と谷口千吉による1稿は「白と黒」と題された。撮影用台本は「山小屋の三悪人」のタイトルであったが撮影後、野暮ったい題名に宣伝部が異議を唱え協議の末、「銀嶺の果て」のタイトルで公開された。
  • ロケーションは黒菱平、栂池高原唐松岳などで行われた。ロープウェイもスノーモービルも無い時代であり山小屋を早朝に出発したスタッフとキャストは人力で機材を担ぎ上げた。元々カメラマン志望の三船は率先して重いバッテリーを運んでいた。撮影は早稲田大学山岳部の協力のもと進められた。
  • 筒井康隆小説に『銀の果て』という作品があるが、題名が似ているだけで本作には全く関係が無い。

脚注

  1. ^ a b c d 野村宏平、冬門稔弐「8月5日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、217頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  2. ^ a b ゴジラ大全集 1994, pp. 52–53, 「東宝特撮映画史 ゴジラ誕生 ゴジラ誕生」

参考文献

外部リンク




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「銀嶺の果て」の関連用語

銀嶺の果てのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



銀嶺の果てのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの銀嶺の果て (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS