日本国外への輸出の歴史とは? わかりやすく解説

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日本国外への輸出の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 23:18 UTC 版)

日本のアニメーションの歴史」の記事における「日本国外への輸出の歴史」の解説

日本アニメ主な輸出先北米で、金額では過半数占めと言われる。しかし、日本のアニメは、北米だけではなくフィリピン韓国などの東・東南アジア地域南米当時社会主義国時代だった東欧諸国を含むヨーロッパオーストラリアロシアなど、全世界放映されており、それらの国の映像文化児童文化与えた影響は非常に大きい。ただし、放映状況については明確な統計もなく、それぞれの製作プロダクションにもはっきりとした記録残ってない場合が多い。本小項目内では、主に北米向け輸出状況について述べ分かる範囲他国の状況をも列挙する本格的なアニメ輸出は、1963年アメリカ合衆国『鉄腕アトム』放映されたことに始まる。『鉄腕アトム』は現在までに30か国以上で放映された。これを皮切りに1970年代までにかけて『ジャングル大帝』、『エイトマン』、『マッハGo Go Go』『科学忍者隊ガッチャマン』『宇宙戦艦ヤマト』などがアメリカ合衆国放映された。また、アメリカ向け専用番組下請け制作広く行われた。 これら日本のアニメ進出対し明確な拒否反応示した国もいくつかあった。ほとんどの国での拒否的反応理由は、古くから日本でも行われた批判と同じで、暴力的であり、性的な表現を含む、というものだった。国によってはそれなどには過敏に反応し、かなり大きな内容の変更が行われた場合もある。ただし、いずれにしても当時主な視聴者であった子供らからははっきりとした拒絶はされず、ほとんどの国では現在でも同じよう日本製アニメ放映されている。 外国放映されテレビアニメは、日本製であることを隠すため、スタッフ名が削除されたり、現地風の名前に差し替えられて放映された作品もある。また、内容現地合わせて改変されるのは恒常的に行われた例えば、前述『科学忍者隊ガッチャマン』では、アメリカ放映の際、戦闘場面暴力的であるという理由削除され関係ないロボット登場させたり、別ストーリー構成したりして放映時間調整したまた、ある国で受け入れられ作品他国でも人気になるとは限らなかった。例え『超電磁マシーン ボルテスV』は、フィリピンでは主題歌軍歌採用されるほどの大成功収めた日本風の生活風景の出るもの(『ドラえもん』)や、特定の国を扱った作品(『ベルサイユのばら』)は、国によって受容されるかどうか明確に違う。 1980年代になると、アメリカでは日本同じように、玩具を売るためのアニメの製作が盛んになり、日本スタジオ下請けの形でこれらの作品製作に加わった実際にはほとんどを日本製作した作品が多い。ただし、元となる玩具販売アメリカ国内限定という事情もあり、これら作品のほとんどは日本では放映されていない例外として『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』は、アメリカ向けに製作され玩具販促アニメであるが、日本逆輸入され放映された。 この時代になると、アメリカ日本アニメ愛好者団体の活動ファンサブ)が活発化してくる。最古参ファンによればこれらの団体北米家庭用ビデオデッキ販売されてすぐ、1976年活動始めた起源については、ロサンゼルスアジア人向けUHF局流していたロボットアニメ鑑賞する会から始まったという説がある。当時から、日本製アニメに対してanimeという語が使われていたという。 一方ヨーロッパでは、1978年からフランスの子番組内日本テレビアニメ放映始まり人気博したアメリカ異なりフランス語アテレコだけでほぼオリジナルのまま放送された。子供たちには圧倒的な支持得たが、描写暴力的下らないとして大人からの批判高まり1990年代末に番組終了したが、同じころ、フランス以外国々でも放送され多くアニメファン育てたフランスでは、この当時アニメ見て育った世代は、番組パーソナリティーの名前を冠してドロテ世代」と呼ばれている。 日本アニメ日本国外での評価進出は、1989年12月『AKIRA』北米公開を境に大きく変化する当初ハリウッドではこの映画はあまり注目されず、北米での配給買ったのは中小配給会社だった。しかし、各地芸術系映画専門館で巡回的に公開する策が功を奏し観客批評家日本のアニメ芸術的なものがあるという印象与えることに成功した『AKIRA』は、ヨーロッパで同様の公開方式を採り、こちらでも同様の印象与えることに成功した1992年から1993年にかけ、『超神伝説うろつき童子』が、イギリスアメリカで劇場公開された。この作品成人アニメである。日本では特に評判の高い作品ではなかったが、そのようなアニメ作品見慣れていなかったヨーロッパ人アメリカ人には衝撃的な作品であり、おびただしい数の批判寄せられた。また、一時期animeそのような成人アニメ代名詞ともなった。ただし、日本国外でこの作品同程度印象与えた成人アニメ作品は、この後出ていない。 1995年以降日本アニメシリーズがほぼそのままの形で放映される形態での輸出もされるようになった。ただし、国によっては相変わらず大きな改変がされることも多い。特に、通常のテレビで子供直接見る時間帯放映されるものに多い。この時代から輸出されるようになった作品に、『美少女戦士セーラームーン』『ドラゴンボール』『遊☆戯☆王』などがある。1996年『攻殻機動隊』が、アメリカビルボードビデオソフト週間売り上げ1位をとったことも、アニメ輸出有利に働いた。なおビルボード日本映像作品ビデオ販売1位となったのはこれが初めてである。 1999年には新たな転機があった。前年から放映されていた『ポケットモンスター』全米初めとして世界各地大成功収めた映画版『ポケットモンスター』と、映画リング』のハリウッドリメイク版『ザ・リング』の成功から、日本映画、特にアニメ作品への注目高まった。これらの作品成功により、ハリウッド映画会社の中では、日本映画日本アニメ専門部署を設け北米向け輸出改作可能な作品がないか検討始める所も出てきている。この頃アニメアメリカへの輸出量は、前年比で3倍まで増えたこともあったが、その後伸び鈍化したまた、中国政府自国アニメ発展させるため、ゴールデンタイム時間帯外国制作アニメ放映禁止し、さらにアニメ放映の約8割以上を自国制作アニメにする措置2006年9月ら行うと発表した2007年の『名探偵コナン』を最後に中国国内での日本新作アニメテレビ放送行われていなかったが、2021年に『はたらく細胞』のテレビ放送決定した

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