日本国外への輸出の歴史
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「日本のアニメーションの歴史」の記事における「日本国外への輸出の歴史」の解説
日本アニメの主な輸出先は北米で、金額では過半数を占めると言われる。しかし、日本のアニメは、北米だけではなく、フィリピン、韓国などの東・東南アジア地域、南米、当時社会主義国時代だった東欧諸国を含むヨーロッパ、オーストラリア、ロシアなど、全世界で放映されており、それらの国の映像文化・児童文化に与えた影響は非常に大きい。ただし、放映状況については明確な統計もなく、それぞれの製作プロダクションにもはっきりとした記録が残っていない場合が多い。本小項目内では、主に北米向けの輸出状況について述べ、分かる範囲で他国の状況をも列挙する。 本格的なアニメの輸出は、1963年、アメリカ合衆国で『鉄腕アトム』が放映されたことに始まる。『鉄腕アトム』は現在までに30か国以上で放映された。これを皮切りに、1970年代までにかけて『ジャングル大帝』、『エイトマン』、『マッハGo Go Go』、『科学忍者隊ガッチャマン』、『宇宙戦艦ヤマト』などがアメリカ合衆国で放映された。また、アメリカ向け専用番組の下請け制作も広く行われた。 これら日本のアニメの進出に対し、明確な拒否反応を示した国もいくつかあった。ほとんどの国での拒否的反応の理由は、古くから日本でも行われた批判と同じで、暴力的であり、性的な表現を含む、というものだった。国によってはそれなどには過敏に反応し、かなり大きな内容の変更が行われた場合もある。ただし、いずれにしても、当時主な視聴者であった子供らからははっきりとした拒絶はされず、ほとんどの国では現在でも同じように日本製アニメが放映されている。 外国で放映されたテレビアニメは、日本製であることを隠すため、スタッフ名が削除されたり、現地風の名前に差し替えられて放映された作品もある。また、内容が現地に合わせて改変されるのは恒常的に行われた。例えば、前述の『科学忍者隊ガッチャマン』では、アメリカ放映の際、戦闘場面が暴力的であるという理由で削除され、関係ないロボットを登場させたり、別ストーリーを構成したりして放映時間を調整した。 また、ある国で受け入れられた作品が他国でも人気になるとは限らなかった。例えば『超電磁マシーン ボルテスV』は、フィリピンでは主題歌が軍歌に採用されるほどの大成功を収めた。日本風の生活風景の出るもの(『ドラえもん』)や、特定の国を扱った作品(『ベルサイユのばら』)は、国によって受容されるかどうかが明確に違う。 1980年代になると、アメリカでは日本と同じように、玩具を売るためのアニメの製作が盛んになり、日本のスタジオも下請けの形でこれらの作品製作に加わった。実際にはほとんどを日本で製作した作品が多い。ただし、元となる玩具販売がアメリカ国内限定という事情もあり、これら作品のほとんどは日本では放映されていない。例外として『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』は、アメリカ向けに製作された玩具販促アニメであるが、日本に逆輸入されて放映された。 この時代になると、アメリカの日本アニメの愛好者団体の活動(ファンサブ)が活発化してくる。最古参のファンによればこれらの団体は北米で家庭用ビデオデッキが販売されてすぐ、1976年に活動を始めた。起源については、ロサンゼルスのアジア人向けUHF局が流していたロボットアニメを鑑賞する会から始まったという説がある。当時から、日本製アニメに対してanimeという語が使われていたという。 一方、ヨーロッパでは、1978年からフランスの子供番組内で日本のテレビアニメの放映が始まり、人気を博した。アメリカと異なり、フランス語のアテレコだけでほぼオリジナルのまま放送された。子供たちには圧倒的な支持を得たが、描写が暴力的で下らないとして大人からの批判が高まり、1990年代末に番組は終了したが、同じころ、フランス以外の国々でも放送され、多くのアニメファンを育てた。フランスでは、この当時アニメを見て育った世代は、番組のパーソナリティーの名前を冠して「ドロテ世代」と呼ばれている。 日本アニメの日本国外での評価と進出は、1989年12月の『AKIRA』の北米公開を境に大きく変化する。当初ハリウッドではこの映画はあまり注目されず、北米での配給権を買ったのは中小の配給会社だった。しかし、各地の芸術系映画専門館で巡回的に公開する策が功を奏し、観客や批評家に日本のアニメは芸術的なものがあるという印象を与えることに成功した。『AKIRA』は、ヨーロッパでも同様の公開方式を採り、こちらでも同様の印象を与えることに成功した。 1992年から1993年にかけ、『超神伝説うろつき童子』が、イギリス、アメリカで劇場公開された。この作品は成人アニメである。日本では特に評判の高い作品ではなかったが、そのようなアニメ作品に見慣れていなかったヨーロッパ人、アメリカ人には衝撃的な作品であり、おびただしい数の批判が寄せられた。また、一時期、animeはそのような成人アニメの代名詞ともなった。ただし、日本国外でこの作品と同程度の印象を与えた成人アニメ作品は、この後は出ていない。 1995年以降、日本のアニメシリーズがほぼそのままの形で放映される形態での輸出もされるようになった。ただし、国によっては相変わらず大きな改変がされることも多い。特に、通常のテレビで子供が直接見る時間帯に放映されるものに多い。この時代から輸出されるようになった作品に、『美少女戦士セーラームーン』、『ドラゴンボール』、『遊☆戯☆王』などがある。1996年に『攻殻機動隊』が、アメリカのビルボードでビデオソフト週間売り上げ1位をとったことも、アニメ輸出へ有利に働いた。なおビルボードで日本の映像作品がビデオ販売1位となったのはこれが初めてである。 1999年には新たな転機があった。前年から放映されていた『ポケットモンスター』が全米を初めとして世界各地で大成功を収めた。映画版『ポケットモンスター』と、映画『リング』のハリウッドリメイク版『ザ・リング』の成功から、日本映画、特にアニメ作品への注目が高まった。これらの作品の成功により、ハリウッドの映画会社の中では、日本映画や日本アニメの専門部署を設け、北米向け輸出や改作が可能な作品がないか検討を始める所も出てきている。この頃、アニメのアメリカへの輸出量は、前年比で3倍まで増えたこともあったが、その後の伸びは鈍化した。 また、中国政府は自国のアニメを発展させるため、ゴールデンタイムの時間帯の外国制作のアニメの放映を禁止し、さらにアニメ放映の約8割以上を自国制作のアニメにする措置を2006年9月から行うと発表した。2007年の『名探偵コナン』を最後に中国国内での日本の新作アニメのテレビ放送は行われていなかったが、2021年に『はたらく細胞』のテレビ放送が決定した。
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