日本国外への進出
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1990年代初頭、X JAPANが日本国外への進出を模索するようになる。1990年代末ごろになるとLUNA SEAやGLAYがアジア公演を行い、1999年にはLaputaが香港のロックイベント「Rock'n Roll Circuit In Hong Kong」に参加し、イベントのトリをつとめている。このように、1990年代にも日本国外への進出の試みはあった。とはいえ、このような動きは縮小する日本国内の市場にかわるマーケットを海外に求めた音楽業界が積極的に主導していたものであり、YOSHIKIなど一部の例外を除けば、ミュージシャンの多くは消極的だったとされる。 2000年代に突入すると、MyspaceやYoutubeを通してインディーズヴィジュアル系バンドの人気も高まっていった。また、DIR EN GREY、MUCC、Miyaviらが日本国外で単独ツアーを果たしている。このようなグローバルでの展開も手伝って、日本国外においてもYOHIOやMaleRose、Lilithなどのヴィジュアル系アーティストがうまれている。 現在、ヴィジュアル系の人気はアジア圏では保たれているものの、ヨーロッパ圏では下落しており、そのシェアはK-POPに奪われたとされる。2000年代後半にヨーロッパでヴィジュアル系が人気を博した際、実力のないバンドが多数日本国外へと出かける一方で人気のあるバンドはなかなか国外ツアーを行わなかったことが、このような状況を招いたのではないかとライターの藤谷千明は指摘している。藤谷は日本国外のファンの需要を無視してきた音楽業界の「<上から目線>」を批判しており、今後ヴィジュアル系アーティストがアジア圏などでツアーを行う際には現地の状況をよく調査し、各国で盛んなSNSをアーティスト自身が使うなど、積極的な海外戦略を展開することが肝要なのではないかと結論づけている。
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日本国外への進出
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「ドラゴンクエストシリーズ」の記事における「日本国外への進出」の解説
1989年にNES用ソフトとして北米進出を果たし『IV』まで発売されたものの、『V』『VI』がリリースされず、約10年近くのブランクが開いたのち、2001年にPlayStationで『VII』が発売された。 米国に既に同名のテーブルトークRPG『DragonQuest』 が存在していたため、商標上の問題で『VII』までは『Dragon Warrior』(ドラゴンウォーリア)というタイトルで発売されていた。2003年10月にこの問題は解決され、『VIII』以降の作品(DS版『IV』以降のリメイクを含む)は 『Dragon Quest』のタイトルとなった。 2005年に『VIII』にて、キャラクターボイスに世界中の訛ったアクセントの英語をあてることにより注目され(北米版に『ファイナルファンタジーXII』体験版が同梱) 、翌2006年には本シリーズが発売されたことのなかったヨーロッパ(5ヶ国語に対応)でも『VIII』が発売され、海外だけで累計100万本以上を売り上げた。また、任天堂が海外での販売を担当した第9作『IX』も100万本を突破している。 旧作の日本国外向け作品中では、キャラクター名や十字架など、特定の宗教を連想させる表現などが大幅に変更(ローカライズ)されていたが、近年の作品では日本国外版へのローカライズを前提に、日本国内版開発時から図案のデザインに対する配慮が行なわれている。 2016年には中国でWindows版『勇者斗恶龙X』(拼音:yŏngzhĕdòuèlóng、『DQX』)がリリースされた。中国でドラクエシリーズがリリースされたのは本作が初。中国版限定のアイテムもあり、日本版に逆輸入されている。
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日本国外への進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 13:48 UTC 版)
中国をはじめとするアジア諸国では一般にリヤカーが浸透しており、自転車と同程度の技術で製造できるリヤカーは庶民レベルの物流の一端を担っている。これらでは日本製オートバイとセットで現地社会に根付き、市場へ農作物を運搬したりあるいは移動販売の店舗に利用されたりといった活動も見られる。 また、リヤカーの製造と保守は途上国でも行えるため、1988年に国連を通じて日本からタンザニアへリヤカー製造の技術協力が行われた。
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