日本国外への進出の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 14:54 UTC 版)
「プリント倶楽部」の記事における「日本国外への進出の歴史」の解説
アトラス(旧社)はプリクラを米国をはじめとする日本国外の市場へ展開し、そのノウハウを生かして2003年には中国への進出を発表、中国のプリクラ市場開拓に本格的に取り組むことを目指していた。上海の徐家匯にパイロット店舗「PIKAPIKA」をオープン。5月下旬には天津市で「アトラス電子有限公司」を設立し営業開始したが、黒字化の目途が立たず経営改善の見込みがないことから事業の継続を断念し、同社は2006年に解散した。 アトラスはシンガポールにも、東南アジアでの業務用ゲーム機器販売とシンガポールでのプリクラ店舗運営を手がける子会社として「アトラス・エンターテイメント」を設立したが、シンガポールのプリクラ店舗の収益が悪化しゲーム機器販売も伸び悩み、アトラス・エンターテイメントの2007年6月期決算は売上高1億4800万円、最終赤字は700万円となった。同社は2008年5月に解散した。
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