日本の主要古記録一覧とは? わかりやすく解説

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日本の主要古記録一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/14 05:55 UTC 版)

日本の主要古記録一覧(にほんのしゅようこきろくいちらん)では、日本の主要古記録を一覧に示す。

なお、古記録(こきろく)とは、歴史学研究において用いられる用語で、比較的古い時代に書かれた記録を指す[1]

「古記録」について

「記録」と「日記」

文献史料の一分野としての記録は、著作物である典籍や、特定の相手に自己の用件や意思を伝達する目的で作成された文書に対し、原則として自己(個人に限らず、官司・寺社なども含む)の備忘のため書きとめたものをいう。ただしこの三者の境界線は必ずしも厳密を期することはできず、たとえば『土佐日記』や『紫式部日記』などは、読者を想定した文学作品ではあるが、その記録性も否定できず、『正倉院文書』を代表する戸籍・計帳などは、個人相互間に授受されるものではなく、行政上保管すべき帳簿として、記録に通ずる性格をもつ。かように記録は語義の広狭によって多様なとらえ方ができるが、こんにち日本史研究の分野においては、記録を狭義に解して、先人の日記を指す用語とすることが広く行われている。

翻って上記の区分に適合する「記録」の語の用例を文献に求めれば、すでに『養老令』職員令の内記職掌に「御所記録」のことを掌るべしと見え、『類聚符宣抄』第六の外記雜掌にある弘仁6年(815年)1月23日付の宣旨における「御所記録」とともに、内記日記や外記日記を指すものといってよい。さらに『花園天皇宸記』に、花園天皇以下諸家の日記を一括して「記録」と明記しているのは、その恰好の例である。同記正中1年(1314年12月30日条の記事がそれで、「今年所学目録」に内典(仏典)・外典(仏経以外の漢籍)と並んで、「記録」の項を立てて「宇治左府記」を掲げ、ついで年来読了した書目を内典・外書および「本朝書并記録」に区分して掲記し、「日本紀」以下の「六国史、本朝世記、令、律、古事記、古語拾遺」の「本朝書」と並んで、「一条院御記、三代御記、後朱雀院御記、後三条院御記、人左記、小一条左大臣記、小野宮右大臣記、宇治左大臣記」を「記録」として掲げている。さらに同記には、正中2年(1315年)12月30日にも「今年所学目録」を載せ、内典・外典のほか、「記録」と冠して、「山槐記、顕時卿記、長兼卿記、経高卿記、定家卿記」を挙げている。

こうして「記録」は主として日記類を指す用語となったが、「日記」ということば、の意味や用法も古来多岐にわたる。「日記」の文献上の初見は、一世紀の中国後漢王充の著『論衡』に「然能舉賢薦事、上書日記也、能上書日記者、文儒也」と見えるものであるとされるが、ここでいう「日記」とは、春秋や五経などの孔子の編著を指している。以後、中国では「日、実也」として、内容の真実性に力点をおき、日付を伴わない考証・語録・教訓などの類に「日記」「日録」「日鈔」などの名称を付けたものが多く、日本でも同じような例が少なくない。

しかし一方では、前漢劉向の著『新序』に見える「日有記」の語句を「日記」の漢典拠とみることもできるし、中国でも日にかけて記された旅行記をはじめ、日々記された日次記の類も「日記」「日録」などとよばれているが、日本ではとくにとれが日記の主流をなした。やや時代は下るが、五山文学僧の義堂周信が、その『空華日用工夫略集』応安4年(1371年1月26日条に、「每日行住坐臥之際所作事也、日本謂之日記」と述べているのも、中国の例と対比して、日本の日記の特色が日次記にあることを指摘したものであろう。

したがって日本では、六国史以下の日付にかけて記述された編年体の史書も日記とよばれ、また『西宮記』や『北山抄』などの儀式作法の編著も、公家日記が先例故実の典拠とされた風潮を背景として、日記の類に数えあげられた。こうして「日記」の語は日次記とそれと一体の関係にある別記以外にも広く用いられたが、いま上記の史書や儀式書の類を除いて、日次記・別記以外の「日記」と称されたものを整理すると、おおよそ次の四種類に大別できる。

  1. 事件の勘問調書の類で、『続日本後紀承和9年(842年7月19日条に、いわゆる承和の変に関連し、罪人を窮問してその「日記」を奏したととが見えるのは、その早い例であり、以後の記録や文書にも同類の用例が散見し、勘問日記とか勘糺日記と称された。
  2. 報告書ないし注進状の類で、『東南院文書』に収める天喜5年(1057年)の東大寺修理所注進の「所々修理日記」など、同類の例は少なくないが、とくに事件の発生と経過を事実に即して直写した報告書を事発日記とか申詞日記と称している。
  3. 特定の行事や行動について、日次記とは直接関係なく独立して記録されたもので、『祈雨日記』などの行事記文や、入宋僧奝然の『在唐日記』などの旅行記がそれに当る。ただこれらは広義の別記といってもよく、円仁の『入唐求法巡礼行記』や成尋の『参天台五台山記』などと共に、記録の一分野として取り扱われている。
  4. いわゆる日記文学の類である。『土佐日記』や『十六夜日記』などの紀行文、『蜻蛉日記』や『紫式部日記』などの回想録、さらに数多くの歌日記など、「日記」と称する文学作品や著作物がそれに当る。

日次記と別記

しかし上述したように、日本における日記記録の主流は、やはり日次記・別記の類である。日記記録の早期の遺文としては、『日本書紀』の斉明天皇5年(659年)7月条等に引載する『伊吉博徳書』や、『釈日本紀』に収める『安斗智徳日記』および『調淡海日記』などの記文とされる。しかし前者は遣唐使に随行した博徳が後年述作提出したものと推測され、後者は壬申の乱大海人皇子の舎人として従軍した記録といわれるが、あまりにも断片的で、原文の性格も明らかにできない。日記原本の最古の遺例というべきものは、『正倉院文書』のなかに収められている天平18年(746年)の具注暦である。その暦面に書きとまれた遺文は、2月から3月にわたる10条ほどの短いものにすぎず、写経生あたりのメモかともいわれるが、後世、具注暦に書くものとされた暦記の源流とみなすととができる。

さらに平安時代に入ると、日記の遺存例は急速に増大するが、それらは記載の形態や機能によって、日次記と別記に大別できる。日次記はいうまでもなく日々の出来事を日次を追って書きついでゆく普通の形の日記である。平安時代中頃の藤原師輔の『九条殿遺誡』には、毎日起床後の一連の儀軌(星号唱唄・鏡視・暦視・手洗・誦名など)に続き、「次記昨日事」として前日の事柄を記すよう定め、さらに「又昨日​公事若私​不得心事等、為備忽忘、又聊可注付件暦」と訓戒している。ただし、実際の実行においては数日分をまとめて記載する場合もあった。鎌倉時代までは巻子本の具注暦に書きつけたものが多く、暦面の二ないし三、四行の空白に記載し、書ききれないときは、裏面に続けて書いたり(これを裏書という)、白紙を貼り継いで書き、さらには記事に関連する文書を貼りとむことも行われるようになった。しかし南北朝時代以降はしだいに冊子本が多くなり、江戸時代には巻子本に書かれたものは稀になる。また平安末期の藤原宗忠の『中右記』、平信範の『兵範記』や、室町時代伏見宮貞成親王の『看聞日記』のように、記主みずから当初の日記を整理、清書し、あるいは家人らをして筆写させた例もある。

別記は特定の事柄について、日次記の記述を補足するため、別に詳細に記した記録である。『政事要略』廿九の追儺事に引く延暦9年(790年)閏3月15日の「外記別日記」は、別記の存在を示す早い例であるが、上記の『九条殿遺誡』にも、「但其中要枢公事、及君父所在事等、別以記之以備後鑑」とあり、要枢の公事は暦記とは別に詳しく記録して後世の参照に備えるよう定めている。師輔自身もこれに従い、多くの別記を書き残している。朝儀・公事の復興に努めた藤原頼長も、康治1年(1142年)11月の大嘗会のあと、10日間寝食を忘れて36枚に及ぶ別記、「大嘗会日記」を作成したという。とのように別記は本来の目的からして、朝儀・公事を対象としたものが多いが、『中右記』の記主・藤原宗忠の「熊野詣別記」などの例もあり、またさきにも述べたように、円仁の『入唐求法巡礼行記』や成尋の『参天台五台山記』も、広義には別記の類に入れることもできる。

公日記と私日記

公日記

日記はまた記主の立場により、公日記と私日記に大別できる。公日記の古い遺文としては、上記の「外記別日記」のほか、『柱史抄』に引く仁和2年(886年)の「内記日記」、『九条年中行事』に引く寛平2年(890年)の「右近陣記」などがあるが、それらは断片的な逸文ないし取意文にすぎない。平安時代の公日記のうち、一応まとまった記文を伝えるのは、外記日記と殿上日記であり、相対的にいえば、前者は庭上ないし外廷の日記、後者は殿上ないし内廷の日記として、両者相い補う関係にある。

外記日記は、太政官の書記役である外記が職掌として記録する公日記で、上記の「外記別日記」や、『続日本後紀』承和7年(840年6月7日条に引く「外記日記」が、その存在を示す早い例であろう。その後、外記日記の記載と保管がしばしば督励され、折にふれて先例考勘の用に供されたが、書きつがれた日記は累積して大部のものとなり、後冷泉天皇治暦3年(1067年)当時、それまでに図書寮の紙工が製紙の料として盗用した分だけでも200巻にのぼったという。しかし平安時代末までにはその記載も衰退し、その役割は外記の私日記や家記によって代替されるようになった。それでも外記日記の遺文は、『西宮記』や各種の部類記などにかなり収められてとんにちに伝えられている。

殿上日記は、当番の蔵人が記録する職務日記である。『侍中群要』に載せる蔵人式には、宇多天皇の勅命として、「当番記事無大小、慎勿遺脱焉」と見え、別に「日記体」と称してその体例を示しているが、とくに末尾に筆録者の官職姓名を署するのは、公日記の面目をよく示している。その伝えられた遺文はあまり多くはないが、一日の記事をほぼ完全な形で遺している例には、寛仁3年(1019年8月28日の皇太子・敦良親王元服記など二、三あり、その体裁は『侍中群要』所載の「日記体」にほぼ符合している。こうした記述の画一性と継続性が公日記の特色であるが、殿上日記の内容は殿上の公事に従事、参列する公卿・殿上人の私日記と重複する面があるためか、その記載は比較的早く衰退したらしい。久安3年(1147年6月17日一上蔵人所別当となった藤原頼長は、大外記に外記日記の記載の励行を命ずるとともに、蔵人範家を召して「近代殿上日記絶不書、自今日後、任旧可令書番日記」と令したことが『台記』に見えるが、やがて頼長が失脚し、殿上日記も廃絶したものと思われる。

しかし一方では、平安末期以降、社寺や幕府・武家等における職務日記もいろいろ現われ、宮廷でも『御湯殿上日記』以下の女房日記や『議奏日次案』、あるいは禁裏・仙洞の番衆所日記や執次詰所日記、さらには各宮家や公家の家司日記など、各種各様の公的な日記が筆録されて、近代の広範な職務日記に及んでいる。

私日記

私日記の遺文として最も古いものは、前述の天平18年(746年)の具注暦に書かれた記文であるが、ある程度まとまった記述を伝える日記は、『宇多天皇宸記』に始まる。以後、天皇以下皇族、公卿以下官人、武家、僧侶、神官、学者、文人から庶民に至るまで、各界各層の人びとによって書かれた日記が数多く伝存している。

しかしその中核をなすものは、朝廷に奉仕する廷臣らの公家日記であり、それがまた日本の日記の特徴にもなっている。朝廷公事の記録を主目的とした私日記の先駆としては、八条式部卿・本康親王の『八条式部卿私記』を挙げるととができるが、公日記に対して「私記」と称している点も見逃せない。公家の私日記には、記主の身分や職務、性格などが反映してさまざまな様相を呈するが、ことに中世以降、家職・家格の固定化に伴って、さらに特徴が鮮明になった。また朝廷の公事のほか、世上の見聞なども記録され、時代がくだるに従って、生活記録的な面も強くなるが、政情や世相に対する批判的な記述には、記主の主観や感情が強く反映する懼れがあることにも留意する必要がある。しかしそとに記主の人間像がもっともよく現われ、読む者に語りかける趣すらあるのは、古文書などでは味わえない楽しみでもある。

日記の記名

上述のように、公家の私日記は、はじめ具注暦に書きつけるものとされたので、記主みずからは「暦記」と称するのが普通であったが、おもに後代の人によって個別的な名称がつけられた。それを大別すると、

  1. 諱。大臣以上は公、三位以上は卿、四位ないし五位は朝臣(ただし清原氏は真人、小槻氏は宿禰などの例もある)をつける。たとえば、三条西実隆の『実隆公記』、藤原為房の『為房卿記』、壬生晴富の『晴富宿禰記』などが挙げられる。ただ四位以下の場合は諱のみで記名を称する場合も多く。また、平信範の『人車記』(「信」の偏である「人」と「範」のつくりである「車」を取って命名された)のように、諱の偏旁による例もあれば、中山忠親の日記『達幸記』(諱「忠親(ただちか)」の唐風反名)、さらには中山定親の日記『薩戒記』(諱「定親(さだちか)」の唐風反名)のように、諱の唐風反名(二字の人名の上下の音や訓を利用してつくる変名の一種)による例もみられる。
  2. 諡号。藤原忠平の『貞信公記』(忠平の諡号)、藤原実頼の『清慎公記』(実頼の諡号、また清慎の偏をとって『水心記』ともいう)などの例がある。
  3. 氏号・家号。大江匡房の『江記』、菅原和長の『菅別記』、藤原師輔の『九暦』、源師房の『土右記』(家号の土御門による)など。なお家号ではないが、邸宅の所在地名によるものに、藤原為隆の『永昌記』(四条の唐名、永昌坊による)がある。
  4. 官職。式部卿・重明親王の『吏部王記』(吏部は式部の唐名)、春宮大夫・藤原資房の『春記』、大宰権帥・源経信の『帥記』、左大臣・藤原頼長の『台記』(大臣の唐名、三台による)などの例がある。
  5. 諱・官職の合成。左大弁・源経頼の『左経記』、兵部卿・平信範の『兵範記』、民部卿・勘解由小路経光の『民経記』などがある。
  6. 氏号・家号・官職の合成。左大臣・源俊房の『水左記』(水は源の偏)、小野宮右大臣・藤原実資の『小右記』、中御門右大臣・藤原宗忠の『中右記』、葉室中納言・葉室定嗣の『葉黄記』(黄は中納言の唐名、黄門による)など。この類の記名がとくに多い。
  7. 尊称・謙称。たとえば、藤原宗忠は父・藤原宗俊の日記を『尊林』と尊称する一方、おのれの日記を『愚林』と謙称した。また藤原頼長も父・藤原忠実の在世中、すでに父の日記を『殿暦』と尊称し、これが後世まで忠実の日記の通称となった。そのほか、三条実房の『愚昧記』、藤原資季の『荒凉記』、近衛道嗣の『愚管記』など、謙称の類も少なくない。
  8. 先代の日記の呼称に関連した名称。たとえば、前述の「諡号」の条で触れた藤原実頼の日記は『小野宮記』や『水心記』と呼ばれ、その孫(養子)・実資の日記は『後小野宮記』や『続水心記』と称されます。また、「尊称・謙称」の条で言及した藤原宗俊の日記『尊林』に対して、その子・宗忠の日記は『愚林』、宗忠の子・宗能の日記は『愚葉』と呼ばれました。さらに、藤原忠通の日記は『玉林』、その子・九条兼実の日記は『玉葉』、兼実の孫・道家の日記は『玉蘂』、道家の子・一条実経の日記は『玉藻』、実経の五代の孫・経通の日記は『玉英』と称される。

以上のほか、関白にはなっていない藤原道長の『法成寺摂政記』が、後世、『御堂関白記』(御堂は法成寺の称で、かつ道長の尊称)と通称された例や、顔色が黒いため「黒帥」とあだなされた大宰権帥・藤原季仲の日記が「玄記』(玄は黒)とよばれた例、また中原師遠の日記が『鯨珠記』(名称は、大治2年5月26日条に肥前国白河法皇に鯨の珠を献上したとの記載に由来する)と称される例などもあるが、公家日記の記名の大部分は、上記の八分類のいずれかに入るとみてよい。

主要な古記録一覧

刊本
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陽明 陽明叢書 思文閣出版
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三の丸 古記録にみる王朝儀礼 三の丸尚蔵館
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思文閣 思文閣古書資料目録 思文閣出版
主要古写本
備考
国会 国立国会図書館
書陵部 宮内庁書陵部 伏…伏見宮本、九…九条家本、西…西園寺家本、柳…柳原家本、壬…壬生家本、白…白川家本、谷…谷森家本、他…その他
宮内庁 東山…東山御文庫、侍従…侍従職
東博 東京国立博物館
京博 京都国立博物館
歴博 国立歴史民俗博物 高…高松宮本、広…広橋家本、柳…柳原家本、田…田中家本、他…その他
内閣 内閣文庫 中…中御門家
東図 東京大学附属総合図書館
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京図 京都大学附属図書館 平…平松家本、菊…菊亭家
京総 京都大学総合博物館 勧…勧修寺家
天理 天理図書館
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武田 武田科学振興団
早大 早稲田
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一覧表
記録名 記主 記録期間 刊本 影印本 主要古写本 記録異名 備考
伊吉博徳言 伊吉博徳 伊吉博得言 『孝徳紀』白雉5年(654年)で引用されている逸文に見える。
伊吉博徳書 『斉明紀』5年(659年)で引用されている逸文に見える。
難波吉士男人書 難波吉士男人
安斗智徳日記 安斗智徳 『続日本紀』巻15(672年)で引用されている逸文に見える。
調連淡海日記 調連淡海
和迩部臣君手記 和迩部臣君手
本康親王記 本康親王 『西宮記』『山槐記』で引用されている逸文に見える。
宇多天皇御記 宇多天皇 887-897 宇多天皇宸記
醍醐天皇御記 醍醐天皇 897-930 醍醐天皇宸記
貞信公記 藤原忠平 907-948 貞信公御記、貞公御記、貞御記、貞記、忠平公記
九暦 藤原師輔 930-960 九条右大臣藤師輔公記、九条殿御日記、師輔公記、九暦記、九記、御暦
吏部王記 重明親王 920-953 吏部日記、吏部記、李部王記、李部王年々記、重明親王記、重記
保忠卿記 藤原保忠 『北山抄』で引用されている逸文に見える。
清慎公記 藤原実頼 924-970 小野宮藤実頼公記、小野宮記、水心記
忠義公記 藤原兼通 兼通公記
小一条左大臣記 藤原師尹 小一条記、小左記
村上天皇御記 村上天皇 949-967 村上天皇宸記
親信卿記 平親信 972-974
小右記 藤原実資 977-1040 後小野宮記、実資公記、続水心記、野府記、小記
権記 藤原行成 991-1011 権大納言行成記、大納言行成卿記
法住寺相国記 藤原為光 太政大臣藤為光公記
御堂関白記 藤原道長 998-1021 御堂御暦日記、法成寺摂政記
左経記 源経頼 1016-1035 参議左大弁源経頼卿記、経頼卿記、糸東記
一条天皇御記 一条天皇 一条天皇宸記
春記 藤原資房 1026-1054 資房卿記、資房記、野房記
土右記 源師房 土御門右大臣師房公記、源右丞相記、土御門記、土方記、土記
二東記 藤原教通 大二条関白藤教通公記
範国記 平範国 1036 4月から12月まで 平範国朝臣記、範国朝臣記
後朱雀天皇御記 後朱雀天皇 後朱雀天皇宸記
行親記 平行親 1037のみ 左衛門権佐平行親記、平記
大右記 藤原俊家 大宮右大臣藤俊家公記、大宮右相府記
定家朝臣記 平定家 1053-1062
但記 藤原隆方 左中弁但馬守隆方朝臣記、隆方朝臣記、隆方卿記、但州記、但御記
水左記 源俊房 1062-1113 増補大成、日本歴史907 書陵部複製、尊経閤 書陵部(伏・柳)尊経閤 源俊房公記、堀河左府記、土記
帥記 源経信 1065-1088 増補大成 書陵部(九) 源経信卿記、都記
京極関白記 藤原師実 1069 4月から7月まで 残闕 京極関白藤師実公記、京極殿記、師実公記
江記 大江匡房 1068-1108 国書刊行会 残闕 匡房卿記
後三条天皇御記 後三条天皇 1068-1072 増補大成 後三条天皇宸記
為房卿記 藤原為房 1070-1114 古記録叢書、妙法院史料 残闕 京総(勧)、陽明、書陵部(伏)、妙法院、歴博(広) 勧修寺大蔵卿為房卿記、大府記
通言記 賀茂通言 1076-1077 続群 法勝寺金堂造営記、法勝寺阿弥陀堂造立日時定記
時範記 平時範 1075-1108 書陵部紀要14・17・32・38、甲子園2~5、岩田書院 残闕 書陵部(九)歴博(広) 右大弁平時範朝臣記、右大記、時範朝臣記、時範記
後二条師通記 藤原師通 1083-1099 古記録 陽明 後二条関白記、藤師通公記、師通公記
中右記 藤原宗忠 1087-1138 増補大成、古記録、禁裏2 陽明、残闕 書陵部(九、柳、伏)、陽明、内閣(中)、東山、歴博(田)、天理、個人 中御門右大臣宗忠公記、宗忠公記、中右抄、愚林
長秋記 源師時 1105-1136 増補大成、群類、続群 残闕、三の丸 冷泉、早大、歴博(田)、書陵部(九・他) 水日記、師時卿記、両熊野記、大治改元記
寛治二年記 1088 群類 残闕
宗俊卿記 藤原宗俊 1088 尊林
通俊卿記 藤原通俊 1088 増補続大成 高野山西南院 右大弁通俊卿記、白河上皇高野御幸記
季仲卿記 藤原季仲 1090 残闕 権中納言藤季仲卿記、正二位季仲卿記、藤都記、玄記
師平記 中原師平 大外記中原師平朝臣記
公定卿記 藤原公定 皇后宮権大夫公定卿記
殿暦 藤原忠実 1098-1118 古記録 残闕 陽明 知足院関白記、忠実公記
永昌記 藤原為隆 1105-1129 増補大成 陽明 残闕、京総(勧) 為隆卿御記、永昌御記、為隆記、宰記
重憲記 清原重憲 1101-1047 私撰国史の批判的研究 残闕 書陵部(伏)
師遠記 中原師遠 1102-1127 私撰国史の批判的研究 残闕 大外記師遠記、外師記、鯨珠記、秘玉抄
顕隆卿記 藤原顕隆 1103 残闕 京総(勧)、歴博(田) 葉室中納言藤顕隆卿記、尊勝寺供養記
高階仲章記 高階仲章 1103 残闕
雅実公記 源雅実 1105-1107 集覧 残闕 久我太政大臣源雅実公記、久我相国記
実行公記 藤原実行 1111-1124 続群 残闕 八条太政大臣実行記、八条相国記、高野御幸記、崇仁記
重隆記 藤原重隆 1113 残闕 永久元年記
雅兼卿記 源雅兼 1113-1124 続群 歴博(田) 白川御堂供養記
通季卿記 藤原通季 1117 残闕
永久五年祈雨日記 源師頼 1117 残闕
敦光朝臣記 藤原敦光 1118-1119 残闕 書陵部(九) 改元記、敦光卿記、敦光記、敦記
公教公記 三条公教 1118-1148 米沢史学8・9、和光紀要9 歴博(田) 教業記、三条内府記、宸筆御八講記
顕頼卿記 藤原顕頼 皇后宮権大夫顕頼卿記
資光朝臣記 藤原資光 大学頭資光記、祭資記、資光記
玉林 藤原忠通 1119-1161 図書寮、禁裏2 書陵部複製、残闕 書陵部(九) 法性寺関白忠通公記、法性寺殿記、法性寺関白記、法性寺殿御記
師元記 中原師元 1123-1165 続群 残闕 史料 六条院御即位記、長寛二年朔旦冬至記
有成記 藤原有成
朝隆卿記 藤原朝隆 1123-1158 続群、龍谷史壇142・144・150 残闕 書陵部(九)

歴博(広)

冷泉中納言藤朝隆記、朝隆朝臣記、藤原朝隆記、中納言記、中已記、冷朝記、朝記、鳥羽院御錫紵記、鳥羽法皇御八講記久寿改元定記
実親朝臣記 平実親 1123 残闕 参議平実親卿記
花園左大臣記 源有仁 花園左大臣源有仁公記、園槐記、園記、槐記、春翫記
戸記 藤原忠教 権大納言藤忠教卿記、四民記
中内記 藤原宗能 1124-1129 中御門内大臣藤宗能公記、愚葉記
知信記 平知信 1127-1135 増補大成続々 残闕

陽明

陽明

京図(平)

中宮大進知信記、知信朝臣記
時信記 平時信 1130-1131 残闕 陽明 贈左大臣平時信公記、平時信記
兵範記 平信範 1131-1184 増補大成、続群、古文書研究74 残闕

陽明、三の丸、扉、天理

陽明、京図(平)、書陵部、冷泉、天理 洞院兵部卿平信範記、信範記、人車記、平兵部記、平洞記、北鄰記、兵禅記、仁安四年公卿勅使記
台記 藤原頼長 1136-1155 増補大成、群類、纂集、史料紀要16 書陵部複製、冷泉、史料、尊経閣 書陵部(九・伏)、内閣(中)、史料、尊経閣、冷泉 槐記、宇槐記、宇左記、宇治左府記
頼業記 清原頼業 1141-1185 続群、変革期の社会と九条兼実 大外記頼業記、二条院御即位記、高倉院御即位記
顕時卿記 藤原顕時 1143-1166 続群 残闕 中民記、山戸記
康治二年灌頂記 寛信 1143 史料紀要14 史料
教長卿記 藤原教長 1147 仁和寺資料 残闕 歴博(田)、仁和寺、金沢文庫 五宮灌頂記
久安四年記 1148 残闕
惟方卿記 藤原惟方 1149 残闕 書陵部
公通卿記 藤原公通 1149-1164 続群 残闕、立命館複製 書陵部(西) 仁平御賀記
山槐記 藤原忠親 1150-1194 群類、増補大成、神戸大学史学年報22、大正大学紀要99・100、史料紀要27 書陵部(九・伏)、宮内庁(東山)、歴博(田・広・高)、内閣、陽明、京都大、大正大、立命館大、醍醐寺、大倉文化財団 中山内府記、中山大臣記、達幸記、深山記、貴嶺記、安徳天皇御五十記、諸院御幸部類記、政部類記、蓮華王院御塔供養記
中原師尚記 中原師尚 1153 残闕 大外記師尚記、師尚記
為親卿記 藤原為親 1155 残闕 京総(勧) 為親記、右記
家通卿記 藤原家通 1158-1177 古代文献の基礎研究 残闕 六角権中納言家通卿記、角金記
番記 残闕
成頼卿記 藤原成頼 1159-1182 残闕 書陵部(伏) 参議成頼卿記、成頼記、匠記、後白河御落飾記
定能卿記 藤原定能 1159-1193 書陵部紀要52・56、禁裏2・4~7 残闕 書陵部(九) 清瀧記、心記
禅中記 藤原長方 1161-1175 禁裏4 尊経閣 長方卿記
顕広王記 顕広王 1161-1178 伯家記録考、続大成、歴博報告139・153 残闕 歴博(田)
玉葉 藤原兼実 1164-1205 国書刊行会、図書寮、玉葉索引、続群 書陵部(九)、歴博(広)、尊経閣、冷泉 玉海、安元改元定記
安部泰親記 安部泰親 1166 集覧、神道大系 残闕
兼光卿記 藤原兼光 1166-1191 続群 残闕 歴博(田) 姉小路中納言兼光卿記、藤原兼光卿記、姉言記
愚昩記 藤原実房 1166-1195 群類、文化学年報19・22・23、古記録 史料、歴博、陽明、宮内庁(東山) 治承元年公卿勅使記
吉記 藤原経房 1166-1198 増補大成、和泉、古文書研究85 京図(平)、歴博(広)、書陵部(谷)、京総(勧) 吉田大納言経房卿記、吉戸記、吉御記、吉大記
資長卿記 藤原資長 1167 残闕 日野権中納言資長卿記
坊槐記 藤原実宗 1171 続群 坊城内大臣実宗公記、高倉院御元服記
光雅卿記 藤原光雅 中納言藤光雅記、龍記
庭槐記 藤原実定 1171-1183 続群 残闕 後徳大寺左大臣実定公記、実定公記、庭槐抄、宮槐記、槐林記、庭槐記、寿永改元定記
定長卿記 藤原定長 1176-1191 続群、史料紀要12 残闕 参議左大弁定長卿記、定長記、山丞記、後鳥羽院御即位記、建久改元定記
仲資記 仲資王 1171-1183 伯家記録考、続大成 歴博(田)
明月記 藤原定家 1180-1235 国書刊行会、纂集、冷泉、明月記研究、国宝熊野御幸記 残闕冷泉ゆまに書房

天理複製(熊野御幸記)

冷泉、天理、東博、大阪青山、三井、個人、歴博(高) 京門記
親経卿記 藤原親経 1180-1201 高科書店 残闕 歴博(広) 六角中納言親経記、見糸記
北院御室日次記 守覚法親王 1180-1182 仁和寺 北院御日次記
養和元年記 1181 成簣堂複製
養和二年記 賀茂定平 1182 残闕
中臣祐重記 中臣祐重 1182-1186 増補続大成、続群 残闕 春日社司中臣祐重記、春日社司祐重記
九槐記 藤原良通 1184 続群 九条内大臣藤良通公記、右大将良通記、元暦改元定記
親宗卿記 平親宗 1188-1190 書陵部(伏)
文治六年月次記 1190 古文書研究57 文化庁
後京極摂政記 藤原良経 1190-1204 群類、集覧 残闕 殿記、後京極摂政良経公記、春華門院御五十日記
資実卿記 藤原資実 1190-1212 残闕、尊経閣 歴博(柳) 都玉記、都禅記
三長記 藤原長兼 1191-1211 続群、増補大成、明月記研究14 残闕 歴博(田)、書陵部、京図 長兼卿記、三中記、三黄記、東進記、清白記、如天記、承元二年東宮御元服記
中臣祐明記 中臣祐明 1194-1210 増補続大成
師重記 中原師重 1194-1219 続群 大外記中原師重記、師重改元定記
平戸記 平経高 1196-1246 増補大成 書陵部(伏)
猪隈関白記 藤原家実 1197-1235 古記録、禁裏6 残闕 陽明、歴博(広)
雅経卿記 藤原雅経 1197-1214 書陵部(伏) 二相記、革菊別記
光親卿記 藤原光親 1198-1209 歴博(広) 中都記、経房卿堂供養記
資経卿記 藤原資経 1198-1222 平家物語の批判研究、群類 残闕 京総(勧) 自暦記
業資記 業資王 1199-1218 伯家記録考、続大成 残闕 歴博(田)
頼資卿記 藤原頼資 1202-1235 国宝熊野御幸記 歴博(広)、書陵部(伏)、宮内庁(東山) 勘中記
良業記 清原良業 1204-1205 残闕
為長卿記 菅原為長 1206-1240 群類、集覧 残闕 編御記
頼平卿記 藤原頼平 1207-1210 残闕
公継公記 藤原公継 1209-1227 残闕
玉蘂 藤原道家 1209-1242 思文閣出版、図書寮、続群 残闕 書陵部(九) 内大臣御拝賀記、順徳天皇御即位記
盛良記 (蔵人)盛良 1210 残闕
信円記 信円 1210 尭榮文庫研究紀要6
仁和寺次日記 1210-1222 残闕
順徳天皇宸記 順徳天皇 1211-1221 増補大成、集覧
任右大臣大饗記 1212 宮内庁(東山)
後鳥羽天皇宸記 後鳥羽天皇 1212-1216 増補大成、集覧、国書漢籍論集
定高卿記 藤原定高 1214-1218 残闕
実基公記 藤原実基 1221-1228 残闕、立命館複製 書陵部(西) 石清水放生会記
承久三年四年日次記 1221-1222
家光卿記 藤原家光 1221-1222 残闕
岡屋関白記 藤原兼経 1222-1251 古記録、続群 陽明、個人 四条院御即位記
範輔卿記 平範輔 1224-1251 残闕
小槻季継記 1225-1241 集覧 残闕
民経記 藤原経光 1226-1270 古記録、続群、集覧、史料紀要18 残闕 歴博(広)、下郷、國學院大 糸光記
中臣祐定記 中臣祐定 1229-1246 増補続群大成 春日大社、成簣堂
洞院摂政記 藤原教実 1230-1233 図書寮 書陵部(九)、成簣堂
後中記 藤原資頼 1230-1242 残闕 宮内庁(東山)
葉黄記 藤原定嗣 1230-1249 纂集 残闕 書陵部(伏)、歴博(広)
師光記 中原師光 1236-1246 続群 残闕 後嵯峨天皇御譲位記
実経公記 藤原実経 1237-1246 残闕
慌涼記 藤原資季 1237-1281 残闕
経俊卿記 藤原経俊 1237-1276 図書寮、群類、書陵部紀要27・43 書陵部(伏)、歴博(田)、陽明 吉礼記、賀茂御幸記
公光公記 藤原公光 1239-1251 続群 残闕 陽竜記、後嵯峨院御譲位記
忠高卿記 藤原忠高 1239 残闕
今出川相国記 藤原公相 1239-1262 残闕、立命館複製 書陵部(西) 九条道家於南都受戒記
太神宮司神事供奉記 大中臣長則 1240-1246 大神宮叢書 残闕
宗雅卿記 藤原宗雅 1241-1257 宮内庁(東山) 政記
師兼記 中原師兼 1242-1246 残闕
妙槐記 藤原師継 1243-1274 増補大成、続群 残闕
為経卿記 藤原為経 1246-1248 続々 残闕
顕朝卿記 藤原顕朝 1246-1248 書陵部紀要、虹の記憶 残闕 書陵部(伏)
仁部記 藤原資宜 1246-1279 鎌遺32・33・35・42 書陵部(伏) 藤戸記、後嵯峨院御瓮御拝記
隆行卿記 藤原隆行 1247-1272 書陵部(伏) 後嵯峨院中元三御幸始部類記
通雅卿記 藤原通雅 1248-1275 続群 宇治御幸記
後深草天皇宸記 後深草天皇 1251-1303 増補大成、群類、図書寮 書陵部(伏) 両院石清水御参籠記、伏見院御笛始事
高輔朝臣記 平高輔 1254-1259 残闕
深心院関白記 藤原基平 1255-1268 古記録 残闕、陽明 陽明、歴博(広)
雅言卿記 源雅言 1255-1270 群類 残闕 書陵部(伏) 源亜記、亀山院御幸記
二禅記 藤原資季 1257-1291 書陵部(伏) 亀山院八幡御幸記、後嵯峨御落飾記
公親公記 藤原公親 1257-1291 残闕
憲説記 藤原憲説 1259-1286 残闕 書陵部(伏)
公種記 藤原公種 1268-1271 書陵部(伏) 亀山院六条殿御幸記
頼親卿記 藤原頼親 1259-1270 群類、集覧 残闕 藤都記、賀茂御幸記、石清水臨幸記
後九記 藤原忠家 1251-1274 図書寮 書陵部(九)
照念院関白記 藤原兼平 1259 残闕 歴博(広)
外記日記 中原師栄 1264-1287 続集覧 尊経閣 尊経閣 新抄
中臣祐賢記 中臣祐賢 1264-1280 増補続大成、史料紀要23 春日大社、成簣堂
吉続記 藤原経長 1267-1302 増補大成、続群 尊経閣 歴博(田) 弘安改元定記
実兼公記 藤原実兼 1268-1231 書陵部(伏) 秘曲御伝授記
為氏卿記 藤原為氏 1270 冷泉 冷泉
兼基公記 藤原兼基 1270 残闕
勘仲記 藤原兼仲 1274-1301 増補大成、纂集、歴博報告70、鎌遺12・14・18・21・28、史料紀要18、中世朝廷の官司制度 思文閣263・271 歴博(広)、下郷、国学院大
建治三年記 太田康有 1277
信輔卿記 平信輔 1277
祇園執行日記 顕詮ほか 1278-1535
公孝公記 藤原公孝 1278
兼文記 小槻兼文 1278
冬定卿記 藤原冬定 1278-1319
師淳記 中原師淳 1278-1288
公衡公記 藤原公衡 1279-1315
壬生家官務家日記 1281
実躬卿記 藤原実躬 1283-1310
中臣祐春記 中臣祐春 1283-1313
経任卿記 藤原経任 1283
冷泉経頼記 藤原経頼 1284
実冬卿記 藤原実冬 1285
継塵記 藤原実任 1287-1334
伏見天皇宸記 伏見天皇 1287-1335
師顕記 中原師顕 1288-1298
山本相国記 藤原公守 1291
道衡記 三善道衡 1291-1292
定衡記 三善定衡 1291-1292
禅助僧正日記 禅助 1292
親玄僧正日記 親玄 1292-1294
吉槐記 藤原定房 1293-1306
永仁三年記 太田時連 1295
今出河右府記 藤原公顕 1297-1300
定清朝臣記 賀茂定清 1297
公秀公記 藤原公秀 1298-1329
雅俊卿記 藤原雅俊 1299
尋覚大僧正記 尋覚 1299


参考文献

高橋秀樹 (『古記録入門』、増補改訂版)(吉川弘文館、2023年 ISBN9784642084352)

脚注

  1. ^ 小学館『デジタル大辞泉』。

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