広橋経光とは? わかりやすく解説

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広橋経光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/19 10:08 UTC 版)

広橋 経光(ひろはし つねみつ)は、鎌倉時代中期の公卿。「広橋経光」は室町期の家名を過去遡及的に適用したもので、同時代には勘解由小路 経光(かでのこうじ つねみつ)と称した[1]権中納言広橋頼資の長男。官位正二位民部卿、権中納言。日記『民経記』の著者。


  1. ^ a b 石田 1997.
  2. ^ 従五位下
  3. ^ 懐成親王立坊の日。
  4. ^ 春宮受禅による。
  5. ^ 承久の乱により廃帝のため。
  6. ^ この時、上臈の範氏と俊賢を越えた。
  7. ^ 北白川院御給。
  8. ^ 先帝の蔵人だが、春宮権大進を止めて補される。
  9. ^ 父頼資が権中納言を辞しての挙任である。
  10. ^ 春日大社への行幸時奉仕による賞。
  11. ^ 以後、薨去するまで民部卿の任にあった。
  12. ^ 藤川功和、「藤原経光と『民経記』」


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