日本の上水道の歴史とは? わかりやすく解説

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日本の上水道の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 19:15 UTC 版)

上水道」の記事における「日本の上水道の歴史」の解説

日本では16世紀半ば北条氏康小田原支配時に早川からを引き、小田原城下に飲用として供した小田原早川上水最古水道考えられている。 豊臣秀吉小田原征伐に参陣した諸大名たちは、この上見て、自領の上開設参考したもの考えられている。 徳川家康もその一人で、1600年頃の江戸都市建設のために井之頭池から引いた神田上水をはじめ、その後玉川上水千川上水などが江戸の町引かれていった(後に青山亀有本所)・三田3つ加えて「六上水」と称した)。 現代から見れば浄水施設各戸給水がないという問題点があったものの、当時世界でもっとも進んだ設備有していた。 元和2年1616年)年、赤穂藩池田氏埋設式かつ各戸給水都市型上水道敷設した。海から近く井戸海水混じるため、都市開発のために真水必須であった赤穂では、郡代垂水左衛門指揮の下に、城中だけではなく城下世帯にまで行き届く水道整備した埋設管部分には備前焼土管用い、堀を越える際は地中サイホン用いていた。 次いで讃岐高松藩と言われている。藩主松平頼重は、玉川上水より9年早い寛永21年1644年)、矢延平六命じて高松城下に、配水配水管地中埋設した本格的な上水道敷設したまた、日本で現在も使われている中で最古水道は、熊本県宇土市在る轟水源水源とする轟泉水道宇土藩初代藩主細川行孝造り寛文3年1663年)に完成したのである始めは丸い土管水道管造られていたが、完成100年程して6代目藩主細川興文のとき丈夫で長持ちする石の水道管改修され今日に至る。 日本近代的水道は、1887年明治20年10月17日に、横浜外国人居留地給水されたのが始まりである。当時居留地では、井戸掘って塩水混じり飲用適さなかった。そこで当時神奈川県知事沖守固は、英国陸軍工兵大佐技師ヘンリー・S・パーマー顧問招き資材英国からの輸入に頼る形で、相模川の上流に水源求めて近代水道建設着手した1885年明治18年)に始められ工事は、1887年明治20年9月竣工し翌月から給水始められた。近代水道は、1890年明治23年)に水道全国普及水道事業市町村による経営内容とする水道条例制定されたことにより、都市部急速に実用化された。 旧来の水道設備充実していたために整備遅れていた東京でも、1898年明治31年)には多摩川から淀橋浄水場経由して市内へと配水する設備完成した日本近代上水道導入されきっかけとしてはコレラなどの伝染病への対策という面もあるが、多少なれど事業当事者にとっての利潤という面も無視できなかった。東京府水道建設などは当時政府/内務省当時野党である改進党思惑に、条約改正目論む外務省関わる東京改造計画絡んだ日本では上水道網の導入検討されていた明治中期上水道需要集め保証無かったとされている。特に湧水恵まれた京都市などでは「京都の人がわざわざ金を払って水道を使うだろうか?」「使うだけの『水質』の魅力水道にあるのか?」と甚だ疑問の目が向けられていた。

※この「日本の上水道の歴史」の解説は、「上水道」の解説の一部です。
「日本の上水道の歴史」を含む「上水道」の記事については、「上水道」の概要を参照ください。

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