日本の七夕祭り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 01:49 UTC 版)
1687年(貞享4年)刊行の藤田理兵衛の『江戸鹿子』(えどかのこ)には、「七夕祭、江戸中子供、短冊七夕ニ奉ル」とある。その他、喜多川守貞の『守貞謾稿』にも、「七月七日、今夜を七夕という、今世、大坂ニテハ、…太鼓など打ちて終日遊ぶこと也。江戸ニテハ、…青竹ニ短冊色紙ヲ付ケ、高ク屋上ニ建ルコト。」とあり、江戸時代中期には既に江戸で七夕祭りが始まっており、江戸時代末期には大坂でも盛んになっている様子が窺える。その他、喜多村筠庭の『喜遊笑覧』には「江戸にて近ごろ文政十二年の頃より」、『諸事留』には「天保十二年六月、例年七月七夕祭と唱」、斎藤月岑の『東都歳時記』には「七月六日、今朝未明より」、屋代弘賢の『古今要覧稿』には「たなばた祭、延喜式、七月七日織女祭と見えたるを初とせり」とある。 現代の「七夕祭り」は、神事との関わりも薄れ、もっぱら、観光客や地元商店街等への集客を目当てとしたものとなっている。神輿や山車などを繰り出す祭りと異なり、前日までに、笹飾りをはじめとした七夕飾りの設置を終えれば当日は人的な駆り出しも少なく、また商店前の通行規制も少ないため、商店街の機能を低下させることなく買物客を集められるという点で、商店街との親和性が高く、戦後の復興期以降、商業イベントとして東日本を中心に日本各地で開催されてきた。多くは昼間のイベントと、夕方から夜にかけての花火という組み合わせが殆どで、伝統的あるいは神事としての七夕の風習に頓着せず行われている事が多い。 また、青森の「ねぶた」や「ねぷた」、秋田の「竿燈」などの「眠り流し行事」も七夕祭りが原型である。
※この「日本の七夕祭り」の解説は、「七夕」の解説の一部です。
「日本の七夕祭り」を含む「七夕」の記事については、「七夕」の概要を参照ください。
- 日本の七夕祭りのページへのリンク