方言による訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 09:45 UTC 版)
聖書の日本語訳には、現代日本のいわゆる標準語以外の翻訳も存在する。方言で作成することを企図したものではないものの、鎖国中のプロテスタントによる訳は、上述のように限られた漂流民の協力によって成り立っていたため、その出身地の言葉が混じっていると指摘されている。実質的に最古の日本語訳とされるギュツラフの『約翰福音之伝』にしても、協力者音吉らの南知多方言の反映が指摘されている。 また、ベッテルハイムが日本伝道の第一歩として、一部の福音書・パウロ書簡や『使徒言行録』の琉球語訳を刊行したことと、それが日本本土での布教に活用できないと判断されて中断したことは上で触れたとおりである。 さらに、日本語の方言とはいえないものの、日本国内の言語ということでは、明治時代に聖公会のジョン・バチェラー (John Bachelor, CMS) がアイヌ語訳を刊行している。アイヌへの伝道に強い熱意を持っていたバチェラーは、1878年からアイヌの集落でその言葉を学び、1889年に『蝦(か)英和対訳辞書及文法』を公刊し、同じ年から聖書のアイヌ語訳を分冊で刊行し始めた。祈祷書に含まれた旧約聖書の詩篇に至っては、韻文でのアイヌ語訳がなされている。また、彼は少なくとも新約聖書については全訳を完成させ、聖書協会委員会から『Chikoro Utarapa ve YESU KIRISTO Ashiri Aeuaknup OMA KAMBI. The New Testament of our Lord and Saviour Jesus Christ in Ainu』の題で1897年に刊行した。これは1981年に日本聖書協会から再版されたことがある。 現代の方言による翻訳例には、山浦玄嗣による『ケセン語訳新約聖書』(福音書のみの4分冊。イー・ピックス出版、2002年 - 2003年)がある。これは岩手県の気仙方言によるもので、NHKのこころの時代でとりあげられたことで地元の小さな出版社から出た本としては大反響を呼んだという。山浦は当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世に手紙を送り、後に直々に献上する機会を得た。さらに山浦は『ガリラヤのイェシュー 日本語訳新約聖書四福音書』(イー・ピックス出版、2011年)にて、ガリラヤ、エルサレム、ローマなどの出身や立場に応じてケセン語以外に京言葉、大阪弁、津軽弁などを使い分けた翻訳を試みている。これは著者の自宅や版元が東日本大震災で被災した直後に刊行されたものであり、2012年の「キリスト教本屋大賞」を受賞した。山浦の方言訳については「単なる翻訳の領域を超えた新しい文化的価値を持つもの」として評価する声がある。その一方、ケセン語訳のもつ独特の味わい深さを評価しつつも、山浦の観点に基づいたイエス像を押し付けている可能性を指摘する声もある。 方言による翻訳の例には、他にも大阪弁に翻訳された『コテコテ大阪弁訳「聖書」』(ナニワ太郎&大阪弁訳聖書推進委員会、データハウス、2000年)もある。これは「マタイはんの福音書」のみを新共同訳聖書を参考にして大阪弁に「翻訳」したものである(ただし、第1章の系譜など一部省略)。この翻訳について、関西学院大学宗教主事の前川裕は好意的に言及している。また、日本聖書協会翻訳部の島先克臣も、こうしたケセン語訳や大阪弁訳について興味深い翻訳の例として言及している。
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