排ガス規制と550cc化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/16 20:34 UTC 版)
「スズキ・LJ50型エンジン」の記事における「排ガス規制と550cc化」の解説
1970年代中盤、マスキー法に端を発する自動車排出ガス規制のクリアのため、他社においては構造上未燃焼ガスの放出が避けられない2ストロークエンジンから、4ストロークエンジンへの移行が進んだ。しかし、ホンダとは逆に4ストロークエンジンの技術に乏しいスズキは、2ストロークに固執せざるを得なかった。また、商品的に見ても、トルクが減少し扱いづらくなる4ストローク化は可能なら避けたかった。 スズキは1970年代初頭時点で、オートバイのGT380やGT750にて、アイドリング時にクランクケース下部に滞留した未燃焼オイルを加速の際に隣のシリンダーへ送り込み再燃焼させて排気ガスへの未燃焼オイルの混入を軽減し、2ストローク特有の白い排気煙の減少を図る機構であるSRIS(Suzuki Recycle Injection System)を開発。次いで軽自動車用エンジンではLC10W型の試験エンジンにおいて、燃焼室と排気ポートに1本ずつの点火プラグを配置し、未燃焼ガス(HC)を再燃焼。併せてエアポンプで一酸化炭素も浄化する仕組みである、スズキ・EPIC(排気孔点火浄化装置、Exhaust Port Ignition Cleaner)の開発に成功しており、これら二つの機構を搭載したLC10型にて1974年のアメリカ合衆国環境保護庁のマスキー法試験に合格する成果を挙げていたが、構造の複雑さが難点であり、自動車排出ガス規制が乗用に比べて緩い貨物用2気筒エンジンの対策は、EPICよりも簡素な機構で賄う方法が模索された。 そこで1975年のL50型では、SRISに加えて2気筒の掃気時の未燃焼ガスの排出を抑制するために、エキゾーストロータリーバルブ(ERV)を排気ポートに新たに設置し、エキスパンションチャンバーも併用することにより、2ストロークエンジンでありながら昭和51年排出ガス規制適合を達成した。 1976年(昭和51年)、軽自動車規格が変更され、エンジンの排気量は360 cc未満から550 cc未満へと拡大された。これは4ストロークエンジンへの移行促進を狙ったものだが、既に2ストロークで51年排ガス規制に適合したスズキは、わざわざ4ストロークにする必要がなかった。キャリイやジムニーなどのトルクの必要な車種への要請から、主に商用車用として2ストロークエンジンを継続した。 新規格に対応するためL50エンジンをベースに1シリンダー追加し、排気量を539 ccとした。これがLJ50である。スポーツエンジンは廃止され、26 PSあるいは28 PSのトルク重視のものに統合されたが、2ストローク3気筒という構成から回転が滑らかでエンストしづらく、スペックの割にトルク感があり、エンジン音も、音圧は大きいものの音質は穏やかな連続音であった。当初はキャリイとジムニーに搭載され、いずれもCCIS(Cylinder Crank Injection and Selmix)採用の分離給油で、使い勝手はオイルの補充以外は当時の他社4ストローク車と変わらなかった。また、2ストローク3気筒はエキゾーストマニホールドを集合化して排気干渉を利用しチャンバーのみで未燃焼ガス(HC)の流出を抑え込めたため、2気筒のL50時代に排ガス規制を突破する切り札となった反面、出力の低下を招いて不評であったERVの廃止が可能となった。 同時期、横置きトランスアクスル用として、RR用のT4A(443 cc)およびT5A(539 CC)、FF用のT5B(同)も生産された。LJ50型とT5A型とを比較すると、内径×行程とも同一であるなど基本設計の共通点は多いものの、クランクケースが大きく異なるだけでなく、ポートタイミングやポートサイズも異なり、シリンダーブロックは全く別のものである(雑誌「ジムニースーパースージー」No.052(2009年6月号)の記事に比較写真あり)。これらの横置きエンジンは軽乗用車用のエンジンのため、軽貨物用のL50やLJ50よりもより厳しい排ガス規制が課された。1976年登場のT4Aは昭和51年排出ガス規制中の昭和50年暫定規制、1977年登場のT5A、1979年登場のT5Bは当時世界で最も厳しい規制と言われた昭和53年排出ガス規制をクリアする必要があった。スズキはこれに対し、360 cc時代に開発されたEPICよりも簡素で浄化効率の改善が進んでいた酸化触媒を排気管中に2重配置し、更にエアポンプで二次空気を供給するスズキ・TC(Twin Catalyst)にて、T5系については規制の通過に成功した。しかしT4Aは「翌々年(1979年)に予定しているフロンテのフルモデルチェンジまでのつなぎ」であり、ボディの側の容積の不足もあって53年規制への対応は失敗し、昭和52年をもって製造中止となった。この為、急遽ライバルであるダイハツが開発した2気筒エンジンのAB型をOEM供給してもらい、結局翌年の年改でT5Aを搭載できるようボディの設計が変更された。
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