徐福
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徐 福(じょ ふく、拼音: 、生没年不詳)は、秦の方士[注 1]。斉国の琅邪郡(現在の山東省臨沂市周辺)の出身。本来の表記は徐巿[注 2](じょふつ)[1]。日本に渡来したという伝説があるが虚構として知られている。しかし、この伝説が日本に伝わって徐福の渡来という多くの創作が作られた。
注釈
出典
- ^ a b 「徐福」 - ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、2014年、Britannica Japan。
- ^ a b 宮崎正勝『海からの世界史』角川学芸出版〈角川選書 383〉、2005年9月、68頁。ISBN 4-04-703383-9。
- ^ a b 原田実『トンデモ日本史の真相 と学会的偽史学講義』文芸社、2007年6月、102-107頁。ISBN 978-4-286-02751-7。
- ^ 前田豊『消された古代東ヤマト 蓬莱の国東三河と徐福』彩流社、2003年2月、103頁。ISBN 4-88202-790-9。
- ^ https://www.toutiao.com/article/6496075295513117197/?wid=1680187279640
- ^ https://www.163.com/dy/article/G19GR09V0519MVFT.html
- ^ 新井白石『同文通考』勉誠社、1979年、125頁。
- ^ 荻生徂徠『南留別志』。
- ^ 「たき火の煙で「徐福」弔う 八女で「童男山ふすべ」 児童が紙芝居」『西日本新聞』。2021年1月22日閲覧。
- ^ 丹後建国1300年記念事業実行委員会『丹後王国ものがたり 丹後は日本のふるさと』2013年、50頁
- ^ 『北佐久口碑伝説集佐久編限定復刻版』長野県佐久市教育委員会、全434中27P、昭和53年11月15日発行
- ^ 荒井保男「医のことば:その百二十四:徐福」(PDF)『新薬と治療』第52巻第3号、山之内製薬、2002年3月、46-48頁、ISSN 0559-8664。
- ^ 『日本に生きる徐福の伝承』山本紀綱 1979 謙光社
- ^ 山本紀綱『徐福渡来伝説考』謙光社、1975;『日本に生きる徐福の伝承』』謙光社1979
- ^ 宮城谷昌光ほか『異色中国短篇傑作大全』講談社〈講談社文庫〉、2001年、146頁。ISBN 4-06-264970-5。
- ^ “日前首相羽田愛穿中山装”. 中国国際放送 (2007年11月20日). 2018年4月19日閲覧。
- ^ 鳥居貞儀・徐福友好塾『徐福さん 伝承地に見る徐福像と徐福伝説』ネスト企画、2005年12月、171頁。
- 1 徐福とは
- 2 徐福の概要
- 3 研究・調査・交流
- 4 関連文献
徐福(シューフゥ/じょふく)
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「地獄楽」の記事における「徐福(シューフゥ/じょふく)」の解説
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徐福
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「ZOMBIE-LOAN」の記事における「徐福」の解説
「老爺」をトップに据える中国の裏社会を牛耳る大陸系マフィア。本来は魔に通じ魔を操り伏せる古来よりその技を武器に生き抜いて来た道士の集団。中でも「董奉」の名を継ぐ者は「老爺」の右腕として徐福の中核を担っている。現在の末端は術の使えないチンピラに成り下がっているが、幹部の者達の能力は依然として強大。数百年の悲願である「尸解の法」を完成させるために、彼岸人との接触を図っていた。 老爺(ラオイエ) 徐福の龍頭で300歳を越す老人。18世紀に阿片での組織拡大を狙って上海を訪れた際、日本から来た外商の娘であり、思徒の母・千鶴に道ならぬ思いを抱き求婚するも、彼女は既に婚約者がいたため断られてしまう。そのことを逆恨みして千鶴の婚約者の一族を惨殺したが、千鶴はそのショックで自害したために反魂の術で彼女を蘇らせた。その後自分も不死になることを望み、未完成の「尸解の法」を自身に施した。結局、術は成功したが副作用として肉体は急激に老いていったため、以後は思徒の血を摂取することで老化を一時的に抑えていた。 暦の「死者の舌」を喰らい、自分の朽ち果てた躯を捨て不死である思徒の躯に乗り移ろうとしたが、董奉の裏切りに遭い、死亡。 董奉(トウホウ) 声 - 増谷康紀 身長182cm 体重70kg 血液型AB型 誕生日2月27日 徐福の道士。「董奉」とは代々思徒の調伏を担ってきた役職で、本名は別にあるらしい。道士らしく屍を縛り、使い魔を使役する術を持つ。愛妻家で子煩悩であり、自分そっくりな双子の息子がいる。思徒の部屋にある置物に悪戯書きをするなど子供っぽい面がある。思徒に対してはサド・マゾどちらの面も発揮しており、思徒を虐めることを楽しんでいる反面、思徒に罵られることに心地良さを感じている。喰えない性格だが、そんな彼も紅棍には手を焼かされていた様子。 かつて先代の董奉であった父親を徐福の命により殺害している。実は当時、思徒をみすみす日本に逃した先代の董奉に対し老爺がその忠誠心を疑い始めていたために「董奉の忠誠心」を示す必要があったための所業であり、両者(董奉とその父)同意の上でのことであった。代々「董奉」を縛り付け、また父の間接的な仇でもある老爺に対し復讐を誓っており、より深い絶望を彼に味わわせてから葬ろうと画策していた。そのため老爺の忠実な部下であるかのように振舞い思徒の身体を彼が乗っ取ることにも進んで協力していたが、最終的には裏切り彼を刺殺した。 老爺を殺害した際に、老爺から彼と「董奉」の血の盟約に因る呪いを受ける。本来なら彼の息子達や親族にもその死に至る呪いは及ぶ筈であったが、彼岸人と取引をして呪いが自分のみに留まるよう謀っていた。息子達が徐福に縛られない人生を送れるようにと願ってのことであった。その後は妻や息子達、紅棍にも死期が迫った自分に近付かないよう命じ、思徒に「好きに生きなさい」という言葉を残して姿を消した。しかし紅棍はそんな董奉を気遣い、彼の居場所を思徒に教える。訪ねて来た思徒に再会した董奉は、思徒の頼みで彼に「自分の本当の名前」を明かし安らかに逝去した。 紅棍(ホングン) 徐福の一員。「紅棍」とは徐福における武術専門の役職で、本名は別にあるらしい(しかし彼の場合物心が付いた時には既に孤児だったため、名付けられる前に捨てられたとも考えられる)。ヌンチャクを武器としている。ナリは悪く董奉曰く「まるで下っ端のチンピラ」。強引で軽い性格。紙クズ同然に扱われてきた自分達の命に対し、後生大事に扱われてきたにもかかわらず日本へ脱走した思徒のことを贅沢者と嫌っている。元は老爺に食されるために徐福に集められた孤児の一人だったが、彼の中に武術の素質を見た董奉の父親により助けられ、董奉とは兄弟のように育てられた。董奉には憎まれ口を叩くが、彼のことを密かに慕っている面もある。董奉に彼の息子達の子守りをいつも任されている。 四位ツ原にて暦を攫う。意外と情に厚い面もあり、同じ親を持つ誼と言って、捕われていた知佳と修司を逃すために兎子に助力し、思徒と暦の現状を伝えた。また董奉の死期が迫ると、妻と息子達を託される。董奉に「思徒に自分の居場所を教えるな」と命じられていたが、彼のことを想ってか思徒にそれを教えた。だが本当は、自分が董奉の下に駆けつけたくて堪らなかった様子であった。
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徐福
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「こううんりゅうすい〈徐福〉」の記事における「徐福」の解説
始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女や技術者を伴い日本に渡る。程なく始皇帝の訃報を受け、現地の民と共に生きる道を選び、予知能力を持つ女性・ヒミと結ばれるが、不老不死を求める夢が再燃し、一人蓬莱の地に赴き、2500年生きたという仙人から不老不死の法を授かる。
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徐福
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「項羽と劉邦 (横山光輝の漫画)」の記事における「徐福」の解説
宗無忌の家に滞在中、始皇帝に召しだされて東海の不老長寿の薬を求めて出航する。しかしそれきり消息を絶ってしまう。
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