波田須の徐福伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/16 09:38 UTC 版)
徐福の伝説が残る場所は日本国内に20か所以上も存在するが、波田須町には上陸地であることを裏付けるものが数多く伝わり、有力な場所とされる。また多くの地域では徐福のことを「徐福さん」と親しみを込めて呼ぶのに対し、波田須町では「徐福さま」と呼んで神格化しているところに特色がある。波田須の徐福伝説は次の通りである。 「 徐福の一行は数十艘で出航したが、途中で台風に遭い、徐福を乗せた船だけが波田須に流れ着いた。当時の波田須には3軒しか家がなかったが、この3軒は徐福らの世話を行った。当地に上陸した徐福は中国への帰国を諦め、「秦」に由来する「ハタ」と読む姓(波田、羽田、畑など)を名乗り、窯を作り焼き物の作り方を村人に教えた。さらに土木事業、農耕、捕鯨、医薬品、製鉄など、この地域になかった文明を次々と伝授した。このため住民は、徐福を神として崇めた。 」
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