建設の凍結と運輸省案による整備方針
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「東北新幹線」の記事における「建設の凍結と運輸省案による整備方針」の解説
国鉄の経営悪化などを背景に1982年(昭和57年)9月の臨時行政調査会の基本答申に沿って、東北新幹線(盛岡市 - 青森市)を含む整備新幹線計画を当面見合わせる閣議決定がなされた。 1985年(昭和60年)12月に、盛岡 - 新青森間の認可申請が行われた。1986年(昭和61年)11月には、青森市の石江地区に、奥羽本線の駅として新青森駅が開業した。国鉄改革や行財政改革の進展、沿線地域の建設促進への強い要望などを背景に、1987年(昭和62年)1月に整備新幹線建設の凍結解除が閣議決定され、盛岡駅以北の東北新幹線の建設に道が開かれた。 同年4月1日の国鉄分割民営化に伴い、1972年(昭和48年)の整備計画では国鉄が建設主体とされていた東北新幹線(盛岡市 - 青森市)は、日本国有鉄道改革法等施行法の附則により東日本旅客鉄道(JR東日本)が営業主体および建設主体とされたが、同年9月に施行された「旅客鉄道株式会社が建設主体とされている新幹線鉄道の建設に関する事業の日本鉄道建設公団への引継ぎに関する法律」により東北新幹線(盛岡市 - 青森市)の建設は日本鉄道建設公団に引き継がれた。 整備新幹線着工に向けた動きが進められる一方、建設費を削減するため、いわゆる「運輸省案」が考案され、東北区間については以下のような案が検討された。時間短縮効果の高い沼宮内 - 八戸間に標準軌新線を建設し、盛岡 - 沼宮内間および八戸 - 青森間に狭軌に加え標準軌を導入する新幹線直通線化(ミニ新幹線化)をすることで上野 - 青森間で新幹線による直通運転を行い、所要時間を4時間51分から4時間2分に短縮するとした。 東北区間の「運輸省案」盛岡 - 沼宮内間:新幹線直通線 沼宮内 - 八戸間:標準軌新線 八戸 - 青森間:新幹線直通線 1988年(昭和63年)8月31日の「整備新幹線の取扱いについて」において整備新幹線着工優先順位が示され、1(i)として北陸新幹線高崎 - 軽井沢間の標準軌新線、なお軽井沢 - 長野間の取扱いは1998年冬季五輪の開催地決定を考慮して3年以内に結論を出す。1(ii)として高岡 - 金沢間の新幹線規格新線。2として東北新幹線。3として九州新幹線。4として糸魚川 - 魚津間の新幹線規格新線とされた。 1989年(平成元年)1月17日の政府与党申合わせにおいて、整備新幹線の建設主体などが示された。整備新幹線の事業費はJR、国、沿線の地方自治体の負担とすること。建設主体は日本鉄道建設公団とし、建設した鉄道施設を公団がJRに有償で貸し付けること。北陸新幹線 高崎 - 軽井沢間を平成元年度から本格的に着工すること、あわせて難工事推進事業として3トンネルについても平成元年度中に着手することなどが示された。同年6月に難工事推進事業として、沼宮内(現 いわて沼宮内)- 八戸間の岩手トンネルの着工が認可された。 1991年(平成3年)に新幹線鉄道直通線(ミニ新幹線方式)や新幹線鉄道規格新線(スーパー特急方式)による「暫定整備計画」を決定できるよう全幹法が改正された。1988年(昭和63年)の「整備新幹線の取扱いについて」において優先順位2位であった東北新幹線は、1991年8月22日に盛岡 - 青森間193.4 kmの工事実施計画が認可され、9月4日に三戸トンネルで起工式が行われた。沼宮内 - 八戸間は標準軌新線(フル規格)、盛岡 - 沼宮内間および八戸 - 青森間は新幹線鉄道直通線(ミニ新幹線方式)であり、1992年(平成4年)7月29日に盛岡市 - 岩手町間および八戸市 - 青森市間の暫定整備計画が決定された。
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「北陸新幹線」の記事における「建設の凍結と運輸省案による整備方針」の解説
国鉄の経営悪化などを背景に1982年(昭和57年)9月の臨時行政調査会の基本答申に沿って、北陸新幹線を含む整備新幹線計画を当面見合わせる閣議決定がなされた。 1985年(昭和60年)12月に、高崎 - 小松間の認可申請が行われた。国鉄改革や行財政改革の進展、沿線地域の建設促進への強い要望などを背景に、1987年(昭和62年)1月に整備新幹線建設の凍結解除が閣議決定され、北陸新幹線の建設に道が開かれた。同年4月に国鉄が分割民営化され、北陸新幹線については東日本旅客鉄道(JR東日本)が高崎市 - 上越市、西日本旅客鉄道(JR西日本)が上越市 - 大阪市の営業主体とされた。 しかし、建設費を削減するため、いわゆる「運輸省案」が考案され、北陸区間については以下のような案が検討された。上野 - 長野間では高崎 - 軽井沢間に標準軌新線を建設し、軽井沢 - 長野間 に狭軌に加え標準軌を導入する新幹線直通線化(ミニ新幹線化)をすることで上野 - 長野間でミニ新幹線車両による直通運転を行い、所要時間を2時間44分から1時間52分に短縮するとした。上野 - 富山・金沢間は東京のほかに大阪や名古屋や新潟との旅客流動も大きいことから、糸魚川 - 魚津間および高岡 - 金沢間に、新幹線と同じ規格の新線を建設するが当面狭軌を敷設して北陸本線と直通運転を行う新幹線鉄道規格新線(スーパー特急方式)による整備を行うとされた。また、越後湯沢駅で上越新幹線と接続し、当時建設中であった北越北線(現 北越急行ほくほく線)を高速化し、これを経由して富山、金沢までを最高速度160 km/hで結ぶスーパー特急を運行するとされた。これにより上野 - 富山間は3時間26分から2時間48分に、上野 - 金沢間は4時間10分から3時間17分に短縮されるとした。 北陸区間の「運輸省案」高崎 - 軽井沢間:標準軌新線 軽井沢 - 長野間:新幹線直通線 糸魚川 - 魚津間:新幹線鉄道規格新線 高岡 - 金沢間:新幹線鉄道規格新線 (北越北線:高速化)北越北線の建設および高速化は全幹法によるものではない。 1988年(昭和63年)8月31日の「整備新幹線の取扱いについて」において整備新幹線着工優先順位が示され、1(i)として北陸新幹線高崎 - 軽井沢間の標準軌新線、なお軽井沢 - 長野間の取扱いは1998年冬季五輪の開催地決定を考慮して3年以内に結論を出す。1(ii)として高岡 - 金沢間の新幹線規格新線。2として東北新幹線。3として九州新幹線。4として糸魚川 - 魚津間の新幹線規格新線とされた。 1989年(平成元年)1月17日の政府与党申合わせにおいて、整備新幹線の建設主体などなどが示された。整備新幹線の事業費はJR、国、沿線の地方自治体の負担とすること。建設主体は日本鉄道建設公団とし、建設した鉄道施設を公団がJRに有償で貸し付けること。北陸新幹線高崎 - 軽井沢間を平成元年度から本格的に着工すること、あわせて難工事推進事業として3トンネルについても平成元年度中に着手すること。並行在来線である信越本線横川駅 - 軽井沢間については、適切な代替交通手段を検討し、その導入を図ったうえで開業時に廃止することとし、そのために関係者間で協議するとされた。
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