建設の凍結と運輸省案による暫定整備計画
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「九州新幹線 (鹿児島ルート)」の記事における「建設の凍結と運輸省案による暫定整備計画」の解説
国鉄の経営悪化などを背景に1982年(昭和57年)9月の臨時行政調査会の基本答申に沿って、九州新幹線を含む整備新幹線計画を当面見合わせる閣議決定がなされた。 1986年(昭和61年)8月に八代 - 西鹿児島間の認可申請が行われた。国鉄改革や行財政改革の進展、沿線地域の建設促進への強い要望などを背景に、1987年(昭和62年)1月に整備新幹線見合わせの閣議決定が変更され、九州新幹線の建設に道が開かれた。しかし、建設費を削減するため、いわゆる「運輸省案」が考案され、九州区間については以下のような案が検討された 。九州では博多 - 鹿児島間の旅客流動が大きく、博多での乗り換えを解消する必要性は低いことから、時間短縮効果の大きい八代 - 西鹿児島間に、新幹線と同じ規格の新線を建設するが当面狭軌を敷設する新幹線鉄道規格新線(スーパー特急方式)による整備を行い、博多 - 西鹿児島間に最高速度200km/hのスーパー特急を運行するとされた。これにより博多 - 西鹿児島間は4時間6分から2時間7分に短縮されるとした。 1987年(昭和62年)4月に国鉄が民営化され、国鉄が建設主体とされていた九州新幹線は、日本国有鉄道改革法等施行法の附則により九州旅客鉄道(JR九州)が建設主体とされたが、同年9月に施行された「旅客鉄道株式会社が建設主体とされている新幹線鉄道の建設に関する事業の日本鉄道建設公団への引継ぎに関する法律」により、九州新幹線の建設は日本鉄道建設公団に引き継がれた。 1988年(昭和63年)8月31日の「整備新幹線の取扱いについて」において整備新幹線着工優先順位が示され、1(i)として北陸新幹線高崎 - 軽井沢間の標準軌新線、なお軽井沢 - 長野間の取扱いは1998年冬季五輪の開催地決定を考慮して3年以内に結論を出す。1(ii)として高岡 - 金沢間の新幹線規格新線。2として東北新幹線。3として九州新幹線。4として糸魚川 - 魚津間の新幹線規格新線とされた。 1989年(平成元年)1月17日の政府与党申合わせにおいて、整備新幹線の建設主体などなどが示された。整備新幹線の事業費はJR、国、沿線の地方自治体の負担とすること。建設主体は日本鉄道建設公団とし、建設した鉄道施設を公団がJRに有償で貸し付けること。北陸新幹線高崎 - 軽井沢間を平成元年度から本格的に着工すること、あわせて難工事推進事業として3トンネルについても平成元年度中に着手することなどが示された。 1989年(平成元年)6月に難工事推進事業として、出水 - 川内間の第三紫尾山トンネルの着工が認可された。1992年(平成3年)に新幹線直通線(ミニ新幹線)や新幹線鉄道規格新線(スーパー特急)による「暫定整備計画」を決定できるよう全幹法が改正された。 昭和63年の「整備新幹線の取扱いについて」において優先順位3位であった九州新幹線(鹿児島ルート)は、1991年(平成3年)8月に八代市 - 鹿児島市間の暫定整備計画が決定、その後、八代 - 西鹿児島間125.2kmの工事実施計画が認可され、9月に起工式が行われた。新八代 - 西鹿児島間は鹿児島本線千丁駅の南方約1km付近に新設される北八代信号場を起点に西鹿児島駅に至る路線延長約128kmの計画であった。
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建設の凍結と運輸省案による暫定整備計画
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「九州新幹線」の記事における「建設の凍結と運輸省案による暫定整備計画」の解説
国鉄の経営悪化などを背景に1982年(昭和57年)9月の臨時行政調査会の基本答申に沿って、九州新幹線を含む整備新幹線計画を当面見合わせる閣議決定がなされた。 1986年(昭和61年)8月に八代 - 西鹿児島間の認可申請が行われた。国鉄改革や行財政改革の進展、沿線地域の建設促進への強い要望などを背景に、1987年(昭和62年)1月に整備新幹線見合わせの閣議決定が変更され、九州新幹線の建設に道が開かれた。しかし、建設費を削減するため、いわゆる「運輸省案」が考案され、九州区間については以下のような案が検討された 。九州では博多 - 鹿児島間の旅客流動が大きく、博多での乗り換えを解消する必要性は低いことから、時間短縮効果の大きい八代 - 西鹿児島間に、新幹線と同じ規格の新線を建設するが当面狭軌を敷設する新幹線鉄道規格新線(スーパー特急方式)による整備を行い、博多 - 西鹿児島間に最高速度200 km/hのスーパー特急を運行するとされた。これにより博多 - 西鹿児島間は4時間6分から2時間7分に短縮されるとした。 1987年(昭和62年)4月に国鉄が民営化され、国鉄が建設主体とされていた九州新幹線は、日本国有鉄道改革法等施行法の附則により九州旅客鉄道(JR九州)が建設主体とされたが、同年9月に施行された「旅客鉄道株式会社が建設主体とされている新幹線鉄道の建設に関する事業の日本鉄道建設公団への引継ぎに関する法律」により、九州新幹線の建設は日本鉄道建設公団に引き継がれた。 1988年(昭和63年)8月31日の「整備新幹線の取扱いについて」において整備新幹線着工優先順位が示され、1(i)として北陸新幹線高崎 - 軽井沢間の標準軌新線、なお軽井沢 - 長野間の取扱いは1998年冬季五輪の開催地決定を考慮して3年以内に結論を出す。1(ii)として高岡 - 金沢間の新幹線規格新線。2として東北新幹線。3として九州新幹線。4として糸魚川 - 魚津間の新幹線規格新線とされた。 1989年(平成元年)1月17日の政府与党申合わせにおいて、整備新幹線の建設主体などなどが示された。整備新幹線の事業費はJR、国、沿線の地方自治体の負担とすること。建設主体は日本鉄道建設公団とし、建設した鉄道施設を公団がJRに有償で貸し付けること。北陸新幹線高崎 - 軽井沢間を平成元年度から本格的に着工すること、あわせて難工事推進事業として3トンネルについても平成元年度中に着手することなどが示された。 1989年(平成元年)6月に難工事推進事業として、出水 - 川内間の第三紫尾山トンネルの着工が認可された。1992年(平成3年)に新幹線直通線(ミニ新幹線)や新幹線鉄道規格新線(スーパー特急)による「暫定整備計画」を決定できるよう全幹法が改正された。 昭和63年の「整備新幹線の取扱いについて」において優先順位3位であった九州新幹線(鹿児島ルート)は、1991年(平成3年)8月に八代市 - 鹿児島市間の暫定整備計画が決定、その後、八代 - 西鹿児島間125.2 kmの工事実施計画が認可され、9月に起工式が行われた。新八代 - 西鹿児島間は鹿児島本線千丁駅の南方約1 km付近に新設される北八代信号場を起点に西鹿児島駅に至る路線延長約128 kmの計画であった。
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