幕僚らと乱闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 09:18 UTC 版)
お茶を出すタイミングを見計らっていた沢本泰治3佐が、総監室の物音に気づき、その報告を受けた原勇1佐が廊下に出て、正面入口の擦りガラスの窓(一片のセロハンテープが貼られ、少し透明に近づけてある)から室内を窺うと、益田総監の後ろに楯の会隊員たちが立っていた。総監がマッサージでも受けているかのように見えたが、動きが不自然なため、中に入ろうとすると鍵が閉まっていた。 原1佐がドアに体当たりし、隙間が2、30センチできた。室内から「来るな、来るな」と森田必勝が叫び声を挙げ、ドア下から要求書が差し出された。それに目を通した原1佐らはすぐに行政副長・山崎皎陸将補(53歳)と防衛副長・吉松秀信1佐(50歳)に、「三島らが総監室を占拠し、総監を監禁した」と報告。幕僚らに非常呼集をかけ、沢本3佐の部下が警務隊に連絡した。 総監室左側に通じる幕僚長室のドアのバリケードを背中で壊し、川辺晴夫2佐(46歳)と中村菫正2佐(45歳)がいち早くなだれ込むと、すぐさま三島は軍刀拵えの“関孫六”を抜いて背中などを斬りつけ、続いて木刀を持って突入した原1佐、笠間寿一2曹(36歳)、磯部順蔵2曹らにも、「出ろ、出ろ」、「要求書を読め」と叫びながら応戦した。この時に三島は腰を落として刀を手元に引くようにし、大上段からは振り下ろさずに、刃先で撫で斬りにしていたという。この乱闘で、ドアの取っ手のあたりに刀傷が残った。時刻は11時20分頃であった。 彼ら5人を退散させている間に、さらに幕僚副長室側から、清野不二雄1佐(50歳)、高橋清2佐(43歳)、寺尾克美3佐(41歳)、水田栄二郎1尉、菊地義文3曹、吉松秀信1佐、山崎皎陸将補の7人が次々と突入してきた。副長の吉松1佐が、「何をするんだ。話し合おうではないか」と言うが乱闘は続き、古賀浩靖は小テーブルや椅子を投げつけ、小川正洋は特殊警棒で応戦した。 森田も短刀で応戦するが、逆に短刀をもぎ取られた。三島はすかさず加勢し、森田を引きずり倒した寺尾3佐、高橋2佐に斬りつけた。総監を見張っていた小賀に、清野1佐が灰皿を投げつけると、三島が斬りかかった。清野1佐は、地球儀を投げて応戦するが躓いて転倒。山崎陸将補も斬りつけられ、幕僚らは総監の安全も考え、一旦退散することにした。 この乱闘により自衛隊員8人が負傷したが、中でも最も重傷だったのは、右肘部、左掌背部切創による全治12週間の中村菫正2佐だった。三島の刀を玩具だと思って左手でもぎ取ろうとしたため掌の腱を切った中村2佐は、左手の握力を失う後遺症が残った。しかし中村2佐は、三島に対して「まったく恨みはありません」と語り、「三島さんは私を殺そうと思って斬ったのではないと思います。相手を殺す気ならもっと思い切って斬るはずで、腕をやられた時は手心を感じました」と述懐している。 11時22分、東部方面総監室から警視庁指令室に110番が入り、11時25分には、警視庁公安部公安第一課が警備局長室を臨時本部にして関係機関に連絡し、120名の機動隊員を市ヶ谷駐屯地に向けて出動させた。室外に退散した幕僚らは三島と話し合うため11時30分頃、廊下から総監室の窓ガラスを割った。最初に顔を出した功刀松男1佐が額を切られた。吉松1佐が窓ごしに三島を説得するが、三島は「これをのめば総監の命は助けてやる」と、最初に森田がドア下から廊下に差し出したものと同内容の要求書を、破れた窓ガラスから廊下に投げた。 要求書には主に (一)11時30分までに全市ヶ谷駐屯地の自衛官を本館前に集合せしめること。 (二)左記次第の演説を静聴すること。 (イ)三島の演説(檄の撒布) (ロ)参加学生の名乗り (ハ)楯の会の残余会員に対する三島の訓示 (三)楯の会残余会員(本事件とは無関係)を急遽市ヶ谷会館より召集、参列せしむること。 (四)11時30分より13時10分にいたる2時間の間、一切の攻撃妨害を行はざること。一切の攻撃妨害が行はれざる限り、当方よりは一切攻撃せず。 (五)右条件が完全に遵守せられて2時間を経過したときは、総監の身柄は安全に引渡す。その形式は、2名以上の護衛を当方より附し、拘束状態のまま(自決防止のため)、本館正面玄関に於て引渡す。 (六)右条件が守られず、あるいは守られざる惧れあるときは、三島は直ちに総監を殺害して自決する。 などと書かれてあった。 幕僚幹部らは三島の要求を受け入れることを決め、11時34分頃に吉松1佐が三島に、「自衛官を集めることにした」と告げた。三島は「君は何者だ。どんな権限があるのか」と質問し、吉松1佐が「防衛副長で現場の最高責任者である」と名乗ると、三島は少し安心した表情となり腕時計を見てから、「12時までに集めろ」と言った。 その間、三島は森田に命じ、益田総監にも要求書の書面を読み聞かせた。手の痺れた益田総監は、細引を少し緩めてもらった。総監は、何故こんなことをするのか、自衛隊や私が憎いのか、演説なら内容によっては私が代わりに話すなどと説得すると、三島は総監に檄文のような話をして、自衛隊も総監も憎いのではない、妨害しなければ殺さないと告げ、「きょうは自衛隊に最大の刺戟を与えて奮起を促すために来た」と言った。 なお、三島が総監室で恩賜煙草を吸ったかどうかは不明であるが、「現場で煙草を吸うくらいの時間はあるだろう」と、他の荷物と一緒に、園遊会で貰った恩賜煙草もアタッシュケースに入れるように前々日にメンバーに渡していたという。 11時40分、市ヶ谷駐屯地の部隊内に「業務に支障がないものは本館玄関前に集合して下さい」というマイク放送がなされ、その後も放送が繰り返された。11時46分、警視庁は三島ら全員について逮捕を指令した。駐屯地内には、パトカー、警務隊の白いジープが次々と猛スピードで入って来ていた。この頃、すでにテレビやラジオも事件の第一報を伝えていた。
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