州知事と上院議員とは? わかりやすく解説

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州知事と上院議員

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/31 03:45 UTC 版)

ジョン・デイビス (マサチューセッツ州知事)」の記事における「州知事と上院議員」の解説

1833年デイビス国民共和党指導者達からマサチューセッツ州知事選挙出馬することを勧められた。対抗馬反メイソン党候補者である元アメリカ合衆国大統領ジョン・クインシー・アダムズと、民主党推薦するマーカス・モートンだった。デイビス支持する政治会派繊維業界、アボット・ローレンス指導する国民共和党の1派閥(後にホイッグ党となった)、さらに現職知事リーヴァイ・リンカーン・ジュニアだった。投票の結果デイビス最大票を獲得したが、必要とされる過半数には達しなかった。その結果州議会当選者決めることとなり、アダムズモートンよりもデイビス選んで撤退したときに、デイビス当選した議会ホイッグ党支配しており、反メイソンであるアダムズ動きには何の報償無く、両党が協調的な関係を築くような機会無かったデイビス1834年にも再選されたが、これはジャクソン大統領第二合衆国銀行対す攻撃マサチューセッツ州では概して嫌っていたことに助けられた。この知事として2期の間、デイビスは特に指導性を発揮するともなくリンカーン企業寄りである財政経済政策継続した。州は経済的に成長し交通インフラ工業の拡張続けた1835年任期が切れるアメリカ合衆国上院議員ナサニエル・シルスビーが再選求めて出馬しないことを決めた1834年12月ホイッグ党指導者ダニエル・ウェブスターからデービスに、シルスビーの後任について打診があった。これはその議席意欲見せていたアダムズ対抗する意味合いがあった。ウェブスター考えでは、強い候補者であるデイビスならば、州議会の上院議選挙アダムズを破ることができ、空いた州知事の座にはエドワード・エヴァレット据えることができるチャンスがあるとしていた。ウェブスターは昔からアダムズライバル関係にあり、アダムズはこの時も反メイソン党立っていた。州議会下院上院はこの2つ選択について手詰まり状態になっていたが、アダムズジャクソン外交政策支持する演説議会行ったことが警鐘となり、多くの上院議員がデイビス乗り換えることになった手詰まり解消されたのは1835年2月になってからであり、州知事再選されていたデイビスが、上院議員就任するために知事辞任した次の選挙エヴァレット州知事当選したアダムズ息子であるチャールズ・フランシスは、ウェブスターエヴァレットがその目的達成するために陰謀図った考えたが、その考え支持する証拠はない。ウェブスターウェブスターで、デイビス支持しておけば、その見返りに、ウェブスター大統領選挙出馬した場合に、ホイッグ党デイビス派からの支持得られるという読みがあった。 デイビスの上院議としての任期は、北東部国境紛争強硬路線を採ったこと以外に特筆すべきことはない。このイギリスとの紛争は、メイン州イギリス領ニューブランズウィック現在のカナダニューブランズウィック州)との国境に関するものであり、1794年結ばれたジェイ条約でも一部しか解決されていなかった。1830年代両国論争のあった地域開発の手伸ばしたので、ささいな紛争進み1839年には戦争発展する可能性もあった。1820年までメイン州包含していたマサチューセッツ州は、論争のある土地幾らかでまだ利権保持していた。デイビスはこの件で強硬姿勢を採り、アメリカ合衆国はその権利主張する領土幾らかなりとも譲歩すべきではないと主張した1836年デイビスは、北部州反奴隷制度組織から南部奴隷州に送られ奴隷制度廃止運動扇動的文書とされるものの洪水対応する方法検討するために結成され特務委員会委員になった。その委員会ではデイビス唯一北部州選出議員であり、いかなる法制化にも反対したので、委員会合意得られなかった。ジョン・カルフーンそのような文書送った者を罰する法を提案したとき、デイビス公然とそれに反対し、それは奴隷制度反対ようとする人々言論統制することなので、事実上違憲だと指摘した。この法案アメリカ合衆国郵便公社管理的な行動事実上空論のものにされた。 デイビス上院議員である間の1837年に、アメリカ合衆国最高裁判所審査された「チャールズ川ウォーレン事件」で被告弁護立った原告は、ボストンチャールズタウンとの間に1786年建設され有料橋チャールズ川所有者であり、被告は州が1828年認証発行した競合する所有者だった。原告は、自分たちの認証で州が川を渡すための排他的な支配権認めていたのであり、被告対す認証がそれに抵触するものだと主張したデイビス共同弁護人のサイモン・グリーンリーフは、チャールズ川認められ権利狭く解釈せねばならず、州が排他的権利認めたのではないと論じた裁判所の判断被告有利となり、長官ロジャー・トーニー採決被告言い分通していた。チャールズ川認証は、デイビス次に州知事務めていた1841年に州が取得することになったデイビスはその政歴の初期にはダニエル・ウェブスター良好な関係にあったウェブスターは州でも国政でも政党政治に高度の影響力があり、デイビスウェブスター支持求めていた。しかし1830年代後半デイビスと他のマサチューセッツ州ホイッグ党員(特にアボット・ローレンス)は、ウェブスター全国的に幅広い支持得ていないと考えようになった1836年ホイッグ党党員集会ウェブスターがあまり支持されず、ヘンリー・クレイウィリアム・ハリソンには対抗できなかった。このためウェブスターデイビスの間に亀裂生じ1838年には西部土地に関する政策対立したときにその亀裂深まった1842年、特に北東部国境問題解決したイギリスとのウェブスター=アッシュバートン条約で、ウェブスター交渉成功したことを祝う演説で、ローレンス厳しく批判したときに、両者の間の亀裂永遠のものになった

※この「州知事と上院議員」の解説は、「ジョン・デイビス (マサチューセッツ州知事)」の解説の一部です。
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