州知事公邸の改修
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「ジョン・Y・ブラウン・ジュニア」の記事における「州知事公邸の改修」の解説
ブラウンは州知事公邸に移って1か月もしないうちに、配線がかなり朽ちていることに気付き、全面的な検査を命じた。建築物建設省の予備報告書は「これが民間で運営されているものであれば、配線をやり直すために30ないし60日工事させる以外に手段が無いだろう」としていた。この報告書は続けて、この公邸は火災時の避難が非常に困難な建物であると付け加えていた。ブラウンはこの報告を受けると、即座に家族を公邸から出して、レキシントンにある自邸のケイブヒルに戻した。建築物建設省は修繕が住むまで、公邸での宿泊および会合の開催を禁止した。ブラウンのケイブヒル私邸は公式に暫定の知事公邸に指定され、州はブラウンに食料品を供給し、公式客の接待費用を払い戻し、知事としての電話代を支払うことに合意した。ブラウンは交通費も支給された。 1980年3月、州議会が新しい知事公邸を建設するか、あるいは古い公邸を修理するのとどちらが合理的かを検討する委員会を創設した。最終的に現存の公邸を改修することに決め、ブラウンの妻フィリスが意思決定に自由に関わる資格を与えられた。州は連邦政府の歳入共有資金を使って修繕費を賄えると期待したが、ジミー・カーター大統領が1980年5月にその支出を止めるよう命じた。ファーストレディのフィリス・ブラウンは「公邸を救え」という集団を組織して、修繕費を補えるだけの民間資金を集めた。個人的には裕福なブラウンは初年度の給与をこのプロジェクトに寄付した(残り任期の給与は辞退した)。公邸の改築改修は1983年3月に完工し、ブラウン家は4月に公邸に戻った。
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